これまで3回にわたって、農業人材を育てる役割を担ってきた教育機関はどんなことをしているのかを論じてきました。
一言で教育機関と言っても、大学から農業高校、農業大学校などさまざまですが、共通しているのは、対象とする生徒がかつての「農家のあととり」から、「非農家出身の新規就農者」に変わってきたことで、教育の内容もそれに合わせて検討していかなければならないという点です。
これにくわえて、「農業」がカバーする領域が、これまでの生産・収穫・出荷にとどまらず、幅広い分野に広がる一方で、それぞれの分野における専門性が高まっていることで、農家に必要なジェネラリストを養成することは、ひとつの教育機関では不可能になってきていると東京農業大学の小川繁幸氏は指摘しています。(画像は、東京農業大学生物産業学部の卒業生で、現在は「大地のMEGUMI」の副社長、横井大輝さん/本人提供)
この記事のポイント
・ターゲットは非農家出身の新規就農者
・教育機関だけで可能なのか?
・修学期間内に5カ年分の事業計画は作れない
・農家に必要な「ジェネラリスト」を養成するのは?
・「スマート農業」はその答えになりうるのか?
・「高度なデジタル化」よりも大事なこと
・「オンライン授業」が高度教育なの?
・農業教育に本当に必要なのは?
・さまざまな機関や企業が連携することの意味
・東京農大生が独立就農するまでの道のり
・地元農家の指導があったからこそ…
ターゲットは非農家出身の新規就農者
3回の連載で述べてきたように、担い手不足の解決には、教育機関の本来の役割や存在意義が、「農業経営者の養成」にあった原点に立ち返って、地域に人材を還元していくことが必要です。
教育機関がこの問題に対峙するためには、「農家のあととり」に比べると、就農までのハードルが高い「非農家出身の若者」をメインのターゲットにして、彼ら未来の農業人が就農までのキャリアデザインを描けるようにサポートしていくことが重要です。
ここで言うキャリアデザインとは、将来、就農を夢見る若者が「どのような農家」を目指していて、「いつ」「どこで」「何を」「どうやって生産・販売するのか」などのビジョンやノウハウを設計・提示することを意味します。
具体的には、非農家出身の若者が、将来の農業経営者としての自覚を持ち、就農までに必要な「事業計画(雇用や法人化を見据えたビジョン)」を作成したり、「農地の確保」「資金・資材の調達」などの方法を理解してもらうためのカリキュラムです。
教育機関だけで可能なのか?
ただ現実問題として、就農までのキャリアデザインを個別の教育機関だけで指導するのは難しい状況です。
そもそも、「新規参入就農」は、すべての経営資源をイチから用意しなければなりませんから、“起業”するのと同じくらいハードルは高いと思います。いいえ、農地確保や地域の関係者との調整のことを考えたら、一般企業の起業よりも困難に直面することになるでしょうから、教育機関が単独で支援するのは限界があります。
また、新規就農に伴って作成・提出する「事業計画」もハードルのひとつ。
事業計画は一般的に5カ年計画で作りますが、この5年と言うのは、事業が安定するまでの期間−例えば、3年連続で赤字経営にならないよう、計画の中間見直しの必要性など−や事業継承にかかる期間を考慮して設定されたものです。
先述したように、新規参入が起業と同等もしくはそれ以上であるならば、最低でも5カ年先を見越した事業計画が求められます。
修学期間内に5カ年分の事業計画は作れない
教育機関の授業で5ヵ年分の事業計画を作成できるようにするには、当然、そのための仕組みを用意する必要があります。
しかし、現在多くの教育機関における修学期間は、農業高校で3年、大学は4年、農業大学校・農業経営大学校が2年、これ以外の農業系専門学校や民間による農業教育プログラムのほとんどが2年間と設定されています。
これでは現実問題として、修学期間中に5カ年の事業計画をフォローアップするのは不可能に近い。これが、ひとつの教育機関が単独で「非農家出身」で「新規就農」を目指す若者を養成するのが難しい大きな理由です。
農家に必要な「ジェネラリスト」を養成するのは?
事業計画の作成以外にも、現行のカリキュラムで教えきれないものはたくさんあります。
この連載1回目の『「農大生なのに農家にならない!」教育は今何ができるか?』と、3回目の『「大学は出たけれど…」教育に必要なのは就農までの支援』でも触れたとおり、今の農家は生産・収穫・出荷だけでなく、ジェネラリストとしての資質が求められていますが、現行のカリキュラム内で全てをフォローするの不可能です。
さらに農業ビジネスが多様化するなかで、これからはさまざまなビジネスモデルのなかから、自分に合った経営スタイルを模索して、確立していかなければなりません。
それには「アントレプレナー(起業家)」としての資質がより問われることになります。しかし、教育機関はビジネスそのものから縁遠いため、起業を支援すること自体、ほとんどやったことがありません。「ジェネラリスト兼アントレプレーナー」という高度人材=農家を教育する仕組みを、教育機関だけでは創出できないのが現状です。
では、この難題にどのように取り組んでいくべきでしょうか。
「スマート農業」はその答えになりうるのか?
ここからは、新規就農者の育成に、国はどのように関わっているのかを見ていきます。2022年、農林水産省は「農業教育高度化事業」を立ち上げ、農業高校と農業大学校などを対象とした高度な農業教育を支援する取り組みを始めました。
どんなことを支援するのか?と言いますと、「時代に合った先進的なオンライン講座の提供」と、「教育機関の指導者向けの研修」などをうたっています。
具体的には、都道府県ごとの取り組み支援として、▼スマート農業や環境配慮型農業などへの教育カリキュラムの強化、▼国際的な人材育成を見据えた海外研修、▼高校への出前授業、▼社会人へのリカレント教育(仕事と教育を繰り返す)の充実、▼研修用機械・設備の導入に伴う研修機会の改善、▼eラーニングの導入など学びやすい環境の充実などが挙げられています。
説明を読むと、農水省が「高度な農業教育の核」と考えているのは、「デジタル化の推進」にあるように思えます。
農業のデジタル化というと、私たちは「スマート農業」や「農業DX」を思い浮かべます。このふたつのテクノロジーは、これからの農業経営を考えるうえで、もちろん重要なのではありますが、新規就農者の輩出にどれだけ効果があるのかについては、はなはだ疑問です。
「高度なデジタル化」よりも大事なこと
新規就農者が独立した際は、まずは限られた初期資金を活用して、きちんと作物を生産して売上を上げることが最優先のため、デジタル化に最初から設備投資する余裕はありません。
むしろ、デジタル化は既存の農業経営者にとって有効な手段であって、新規就農者を増やすためには、他に注力するべき問題があると思います。
農水省が「スマート農業」推進の声をあげたのは、今から10年前にさかのぼります。この間に、スマート化が浸透しているのであれば、教育機関でノウハウやスキルを獲得することは、農業生産法人などに就職する際には重宝されるかもしれませんが、現実問題として、雇用就農の門戸は、まだまだ狭いのが現状です。
「オンライン授業」が高度教育なの?
農水省が提唱する「教育高度化の支援」のなかには、「オンライン講座の機会拡充」も見られますが、これが農水省の考える高度教育の“視差”ととらえることには、苦しい内情が見え隠れます。
オンライン授業の機会を増やすとことは、うがった見方をすれば、現体制では、地域内で高度教育を提供することが難しい、ということのあらわれだと思うからです。
繰り返しになりますが、農業高校や農業大学校はこれまで、地域に根ざした農業教育の実践を通じて、その地域の農業経営者を養成することをミッションとしていました。
しかし、地域農業の疲弊に伴って、新規就農の受け皿としての機能も弱体化しました。卒業生を地域に送り出すにしても、従来よりも対象地域が広範化しているため、就農先が県外になることも珍しくなくなりました。
さらには、農産物の輸出事業という国産化の波に乗って、農業の領域は、海外に視野を向けるようになった今、教育現場では、海外の農業事情についても学ぶ必要性が出てきています。
農業教育に本当に必要なのは?
農業高校や農業大学校の存在意義が問われている今、「スマート農業」や「オンライン教育」などの教育に力を入れるより先に、新規就農者の輩出を後押しするための施策に重きを置くべきだと思います。
これからの農業を支える高度人材を養成するうえで、私が最優先すべきと考えているのは、「経営戦略」や「マーケティング」などの農業経営に関わる教育の充実です。
この点は、農水省の「農業教育高度化事業」においても、「指導者向けの研修」の具体的な内容に、経営視点が含まれていることからも明らかです。ただ、農業高校、農業大学校の教員で、ビジネススキルをどこまでフォローできるかは、確実ではありません。
以上の点を考えると、農業人材の教育体制を見直すうえで必要なのは、「教育の高度化」といった小手先の改善ではないことは明らかです。
まずは、既存のカリキュラムそのものを見直して、就農に向けた支援体制づくりに力を入れなければ、いつまでたってもこの状況は変わりません。
日本では現在、49歳以下の若い生産者が次々に離農していく状況が問題になっています。この事態を食い止めることは喫緊の課題です。
教育機関は、原点に戻って、地域に農業の担い手を輩出し、彼らを地域に定着させるという本来の役割に本腰を入れなければなりません。
さまざまな機関や企業が連携することの意味
問題を解決するためには、単独ではなく、複数の教育機関や企業が連携して、共同で教育支援体制を構築する必要があります。そして、非農家出身者の就農を支援するためには、さまざまな分野の専門家集団や組織が参加するプラットフォームの形成と、離農させないための長期的な支援体制を構築する必要があるのです。
「プラットフォーム」には、あらゆる分野の専門家を集めなければなりません。
ジェネラリストとして資質を育てるには、生産〜加工〜流通までの各分野の専門家はもちろんのこと、この分野を実際経験した経営者の参画が欠かせません。
そして、アントレプレーナー=起業家の資質を育てるうえでは、関連ビジネスを立ち上げた経験を持つ経営者の参画が必要です。
さらに、農地確保や地域関係者との調整作業を乗り越えることを考えると、行政や土地改良区などの団体にも参画してほしいところです。このなかでも私が特に重要だと考えるのは、教育指導者としての地域農家の存在です。
東京農大生が独立就農するまでの道のり
ここで、私の教え子のひとりである横井大輝さんをご紹介しましょう。冒頭の写真で登場する青年で、現在は北海道の網走に近い大空町でジャガイモやカボチャ、グリーンアスパラガスなどを生産する「株式会社大地のMEGUMI」の副社長をつとめています。
経営関係を学ぶ機会は充実していたと思いますが、一方で生産に関する知識や技術を習得する機会は、所属学科のカリキュラム上、満足に得られなかったはずです。
その不足分をまかなうために、横井さんが何をしたかというと、地域の農家の収穫アルバイトなどを積極的に行って、農家と仲良くなることで、経営志向を直接学ぶ機会をつくりました。
さらに学内でサークルを立ち上げて作物を栽培したり、ゼミの活動の一環として、地元農家と連携した加工品の開発や、マルシェなどの販売イベントの企画を続けていった結果、横井さんのなかに少しずつ、農業の仕事に携わりたいという思いが強まっていったのです。
横井さんは農家のあととりではなく、ましてや本州出身です。卒業を控えた彼が、オホーツクで就農することを選んだ決定打となったのは、大学での授業より、地元農家の熱心な指導のたまものだったのではないかと思います。
地元農家の指導があったからこそ…
横井さんが働いている「大地のMEGUMI」の経営者である赤石昌志社長は、学生だった彼の就農に対する想いに強く突きうごかれ、生産から販売までの経営に関するさまざまな知識やノウハウを惜しみなく提供しました。
赤石さんが横井さんに与えたのは、知識ばかりではありません。横井さんが将来、この場所で独立する気があるならば、地域の人たちに顔を覚えてもらう必要があるとして、「一緒に行こう」と地元農家が集まるさまざまな会合やイベントに連れ出しました。
そこには、同じ地域で栽培している作物でも、農家によって作り方や経営は異なり、個性があることを知ってもらいたいという思いがあったと言います。
赤石さんを通じて、オホーツクの農業や生産者を客観的に見られたことが、北海道で農業を行うキャリアデザインの素地となり、今の就農に結びついたのではないでしょうか?
まさに東京農大の初代学長・横井時敬(ときよし)が残した「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」の言葉が、実現されたケースなのです。
横井さんにとっての赤石さんの存在を、教育機関がどうやって展開していくべきか?次の連載では、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
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