コロナ禍で社会的価値観が一変し、都市生活者の間では、健康や食への関心の高まりから、週末農業や家庭菜園を始める人が増えました。
また新たなビジネスチャンスを狙って、農業分野に進出する企業も後を絶ちません。
農業に熱い視線が注がれる一方で、働き手不足の問題は一向に解消されません。
農業では日本で唯一の総合大学である東京農業大学では、「人物を畑に還す」を理念に、地域の発展に貢献する若者の育成を使命としてきましたが、卒業後に就農する学生は多くありません。
カロリーベースでの食料自給率が38%と、食料安全保障の問題が深刻化するなか、未来を担う農業者を育てるには何が必要なのか、東京農業大学北海道オホーツクキャンパスの小川繁幸氏が教育者としての視点から問う連載が始まります。(写真は、東京農大のゼミ研修で、地場産小麦を使った地域活性化に取り組むパン屋さんに聞き取り調査する学生の様子。筆者提供)
この記事のポイント
・農業の重要性は理解されているのに、魅力がなかなか伝わらない
・コロナ禍は“食”や“農”への関心を高めたのに
・農大の学生は農業をどうイメージしているのか?
・農家は「作物を生産する」だけが仕事ではない時代
・農大卒でも就農しない学生たち
・農業に魅力は感じるが、「農家」にはなりたくない?!
・大学卒業後、就農するまでをサポートする必要
はじめに〜農業の重要性は理解されているのに、魅力がなかなか伝わらない~
我々国民の食を支える農業が大切なことは誰しも認知していることだと思います。しかしながら、日本農業は依然として危機状況が深刻化するばかりです。
例えば、鈴木宣弘氏は『農業消滅』や『世界で最初に飢えるのは日本』などの著書で日本農業の危機的状況に警鐘を鳴らしています。誰もが農業が大切なことを理解しているのに、農業を巡る環境は悪化するばかりで、改善の兆しが見えないのはなぜでしょうか。
社会の潮流からすれば、決して農業は悲観的な側面だけではないのに、農業の魅力はなかなか前面に表れていません。
コロナ禍は“食”や“農”への関心を高めたのに
SDGsを志向する社会的な潮流やコロナ禍の影響とも相まって、消費者の“食”に対する関心の高まりから、“食”と密接な関係にある農業に注目が集まり、“農業のある生活”に多くの関心が寄せられています。
また、一時は感染対策であらゆる活動に制限が設けられました。都市住民はその息苦しさから逃れるように、生活や活動の場を野外や地方に求めるようになり、その結果、アウトドア・キャンプブームや田舎暮らしへの関心が強まりました。
このような消費志向やライフスタイルの変化から農業に関心が集まり、職業選択として農家に関心をもってもらえる機会はかつてより増えていますが、依然として農業の担い手問題は深刻です。
では、これからの日本農業の担い手の一人として期待される世の若者は、今の農業や農家をどのようにとらえているのでしょうか?
農大の学生は農業をどうイメージしているのか?
私の所属する東京農業大学は、日本で唯一の農業系総合大学として、あらゆる農や食にかかわる学びが提供できていると自負しております。そのため、大学に集まってくる学生の多くが農業や食に関心を持っていることは当然ですが、かつてと比べて、今の学生がイメージする「農業」や「農家像」は多種多様になっています。これまで農業と言えば、作物を生産する部分だけがイメージされがちでした。しかし実際には、“農”と“食”はとても近い領域で、あらゆる“食”にかかわるコトが、農業と関連してきます。そこで昨今では、このふたつを結びつけた“食農領域”という考え方が一般化し、「アグリフードビジネス」というキーワードが一般化するほど、農業がカバーする領域は広くなっています。
その背景には、栽培された農作物が生鮮品として直接消費者に届けられるだけでなく、原材料として加工業者に運ばれたり、飲食店やスーパーなどに届けられるなど、食産業とのかかわりが農業のあり方に大きな影響を与えていることが理由としてあげられます。
農家は「作物を生産する」だけが仕事ではない時代
また、農家のイメージも変わってきています。今や農家は単に作物を生産するだけでなく、加工品開発やレストラン経営といった多角経営、いわゆる6次産業化を展開している農家も少なくありません。
さらに、ICT・IoTを駆使したスマートアグリを展開したり、発酵や醸造技術を応用した食品開発にくわえて、企業や研究機関と連携して、ゲノム編集技術を使って、育種を展開するなど、農家に求めるコト・求められるコトが広範化しているのです。
ふだんの教員生活でも、農業に多様性を求めるイメージを抱く学生が増えていることを実感しています。
以前、私の研究室に所属する農業高校出身の学生に、就農ではなく「大学進学を選んだ理由」を尋ねたことがあります。彼が大学に進学したのは、作物の生産・販売という従来の農業に関する学びが第一目的ではなく、"農業×●●"といった、今までにないビジネスモデルを実現するためだ、ということがわかりました。
なぜ、その考えに至ったのかを聞いてみたところ、意外にも「ファッションが好きなんです!」という答えが返ってきました。
「農業高校での生活を通じて、農業の大変さと同時に魅力も実感しました。そこで、授業で学んだ6次産業化やスマートアグリ以外にも、農業を元気する方法がないか、と考えるようになったのですが、僕の趣味がファッションだったこともあって、カッコいい作業着にこだわっている農家さんの存在に気づいたのです。やがて、農業とファッションを融合させられないかなあと考えるようになりました…」
とはいえ、まさか大学で"農業×ファッション"を考える研究分野などないだろうと思っていたそうですが、ワークウェアブランドと組んで農村でファッションショーを催したり、農業女子プロジェクトの一環で、コーチジャケット(ウインドブレーカー)の開発に携わった私の存在を知って、東京農大に進学しようと決めたと話してくれました。
この生徒のような"農業×●●"への関心は、他の学生との会話でも耳にします。今、何に関心があるかを問うと、ある生徒は「農業×ゲーム」で農業を盛り上げられないかと語ったり、美容成分にこだわった化粧品を開発したいと「農業×コスメ」の夢を持つ女子もいます。
このように、今の学生は農業そのものに関する学びではなく、多様な「農業の形」を学ぶことを求めている傾向にあります。
言い換えれば、学生たちは「農業の活性化そのもの」に興味を持っているのであって、目標の実現のために彼ら自身が農家になって活性化に取り組むというより、農業にかかわる仕事を通じて、理想を実現したいというのが本音なのです。農業大学の大半の学生が抱くキャリアビジョンに「就農」は描かれていないのが現実です。
農大卒でも就農しない学生たち
ー農業の活性化に取り組みたいーというのは、日本農業の未来を考えるうえで嬉しい反面、農業大学の教員としては寂しさを感じます。農業には関心がありながらも、将来の夢は農業ではない学生が多くなっていたり、農家を志して入学しても、卒業後は異なる職業を選択する学生が増えている現実に日々向き合っているからです
東京農業大学の学生というと、世間では農家を目指す学生が多いイメージがあります。しかし現実には、JAや研究機関、食品企業など、農業や食関係の企業に就職する学生が大半で、農家になる学生はごくわずかです。
大学では農業に関するさまざまな学びの機会が充実しています。
しかし、これまでお話ししたように農学がカバーする領域が広がり、複雑に細分化することに伴って、学部・学科・研究室の体系も広範化し、研究分野が細かく枝分かれしました。その結果、何が起きたかというと、学生に提供するカリキュラム内容も高度に専門化が進み、本来ならば、さまざまな分野を複合的に学ぶ必要がある農業を学ぶ機会が減ってしまいました。
具体的な例を挙げてみますと、農家になるためには栽培技術だけでなく、「流通・販売」といった社会科学の知識も修得しなければなりません。つまり、農家にはさまざまな業務に精通した「ジェネラリスト(オールラウンド・プレイヤー)」としての資質が求められる反面、大学ではジェネラリストを育てるための農業を総合的・体系的に学ぶ機会を提供することができていない現状です。
農業に魅力は感じるが、「農家」にはなりたくない?!
仮にそういった意味での「農業」を総合的・体系的に学ぶ機会を提供できたとしても、学生が大学卒業後すぐに農家として自立できるでしょうか?
……いいえ。現実問題として、卒業生が就農して独り立ちするまでは、先輩農家のもとで研修を受けたり、農地を取得したり、施設や農機具を揃えるための資金を用意したりと、さまざまなハードルが待ち受けています。
一般の大学であれば、企業に就職して収入を得るようになれば、経済的には自立できます。それに比べて農業では、独立就農までのサポート体制を大学だけで構築することは不可能です。農家を志す学生の要望にきちんとコミットメントできていない状況にあるのです。農業を専門とする教育機関が、農家になることを選ぶ学生を輩出できていない要因のひとつがここにあるのではないかと考えております。
東京農大は「人物を畑に還す」という理念のもと、地域の担い手である農業後継者を地域からあずかって育成し、その人材を地域に再び戻すことで、日本農業や地域活性化に寄与してきました。
農業の担い手問題不足が深刻化するなかで、今や大学の学生の多くは、非農家出身者が大半です。しかも、卒業生学生の大半が農家を職業選択していない状況を考えると、いずれは大学から農家を輩出できなくなり、日本農業は解体・消滅してしまうのではないかとさえ考えてしまいます。
大学卒業後、就農するまでをサポートする必要
皆さんは、もし、日本から農業が消滅したらどんな世界が待っているのか想像したことはありますか。
何とかなるのではないかなと楽観視していませんか。
今や日本の農業は解体・消滅してもおかしくはない状況下です。
これからの農業を考えるならば、農業はマイナス面だけでなく、ビジネスや仕事としての魅力や社会的な価値といったプラスの側面を、しっかりと次世代の若者に伝えていくことが必要です。
いずれにしても農業にかかわる大学で教える者としては、「農家を輩出できていない」という問題を何としても解決したい…。少なくとも就農を希望する学生に、農家として自立できるまでサポートしてあげたいという強い想いがあります。
では、どうしたらよいのか。この点をこれから数回にわたって皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
この記事の執筆
小川 繁幸(おがわ・しげゆき)
東京農業大学生物産業学部自然資源経営学科准教授。1982年新潟県で生まれ、兼業農家で育つ。農林水産業のコンサルティングなど民間企業を経て、2013年に同大学の博士研究員、翌14年同大学同学部地域産業経営学科助教に就任。オホーツクを拠点に全国各地の農林漁業地域の活性化に向けて飛び回る。YUIME Japanでは、以下の記事の執筆や「農業女子」からの相談に答えるなど、未来の農業界を担う若い世代の気持ちを代弁する教育者だ。
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