日本の食料基地とも言われる北海道のなかでも、オホーツク海に面した網走市は、農・畜産業だけでなく、漁業や林業など一次産業全般が基幹産業になっています。
そんな網走市にキャンパスを構える東京農業大学生物産業学部に集まる学生は、同校の他キャンパスに比べると、日ごろから実践的に農業に触れるチャンスに恵まれています。
同時に同校は現在、道内の農業高校と連携して、これからの農業を支える10代の育成に向けて、さまざまなアプローチを試みています。
新規就農を増やすための第一歩は、若者に農業の魅力を認識してもらうこと。そして、いざ就農を志すなら、どんな生産者を目指すか───。ここにヒントが隠されています。
今回は、次世代の人材育成に向けて、独自の取り組みを展開しているふたつの団体を紹介します。(画像は山形県OSINの会での指導の様子/提供:山形県大江町就農研修生受入協議会 OSINの会)
この記事のポイント
・「ニートにならなきゃ何でもいい」農業高校生に衝撃を受ける
・農業高校は、学力不足の生徒の進学先?
・農業は教育ツールか
・若者に憧れてもらうために何をすべきか?
・食農教育を通じた農家の教育
・子供たちが楽しめる教育の提案を
・地元農家が主体となって、新規就農希望者を受け入れる
「ニートにならなきゃ何でもいい」農業高校生に衝撃を受ける
前回の記事「新規就農者を増やし、育てる「指導者」に今、求められているのは?」では、若者たちにとって、農家が憧れの存在になることが、今後の日本農業を考えるうえで最も重要なミッションのひとつであるとお伝えしました。
ここでカギを握るのが、「農家としての立ち居振る舞い」つまり「品格を持った農家」ということになります。
私は毎年、北海道内外の農業高校から依頼を受けて、出張講義の機会がありますが、そのときの高校生の反応を見ていると、この点を強く感じるのです。
これまでの連載で繰り返したように、農業大学の学生は、就農までを具体的に意識している生徒は少ないものの、農業には関心がある学生がほとんどです。
そのため、大学生とそう年齢が変わらない農業高校生だって、少なからず、農業に関心があるから進学したのだと思っていたのです(事実、私は農業高校出身です)。
しかし講義を始めて間もなく、農業高校生に抱いていたイメージは幻想で、考えが甘かったことを痛感しました。
これは、ある道内の農業高校で1年生にむけて講義をしたときの体験です。
講義を始めてすぐ、「このなかに、将来農家になりたい生徒はいますか?」と挙手を求めました。
今どきの農業高校生は、ほとんどが非農家出身ということは承知していますから、農家になろうなどというキャリアビジョンを持っている生徒は少ないだろうと予想した質問です。
むしろ、誰も手を挙げないんじゃないかとすら考えていたので、80人の生徒のなかで、たった一人でも手を挙げてくれたことには正直ホッとしたくらいです。
続いて、これからの講義への期待度を高めてもらうため、「じゃあ、農業に関心がある人はいますか?」と質問しました。
「1年生の時点で農家を志す生徒は少ないだろうけれど、農業高校に進学したくらいなのだから、農業に関心があるに違いない……」という思惑があったのです。
そこで、この質問にはたくさんの反応があるだろうと期待して待っていたのですが、挙げられた手はわずか5人。残る75人は浮かない表情を浮かべるばかりです。
一瞬、何かの間違いかな、質問がよく聞こえなかったのかな?と思い直して、最後の質問を続けました。
「将来、こんな仕事をしたいとか、こんなふうに働きたいといった思いはありますか?」
一人の生徒の回答に思わず耳を疑いました。
その生徒は「…ニートにさえならなければ、いいと思っています」と言うのです!
農業高校は、学力不足の生徒の進学先?
──今の農業高校生は、就農はおろか、農業そのものに関心がないのに入学してくるものなのか……。
私はその生徒の答えに、これまで自分がイメージしていた“農業高校生像”を覆されたような思いがして、しばらく打ちひしがれました。
この時の衝撃があまりにも大きかったせいか、講義の後、農業高校の先生にも「今の農業高校は、農業に関心がないのに入学する生徒がいるのですか?」と聞いてみたほどです。
先生たちは気まずい表情を浮かべて、「農業に興味があって受験する生徒も少しはいます。でもほとんどは、普通科や進学校を受験するには学力の面で劣る生徒ばかりなんです」と説明してくれました。
受験先の選択肢がないなかで農業高校を選ばざるを得ない生徒たち──。それならば、先ほどの生徒の覇気のない答えも納得できます。
しかし、ここは農業高校です。教師たちは、農業への意欲も関心も湧かない生徒に対して、一体どのように進路指導やキャリア教育を行っているのでしょうか?
そんな疑問を思わず投げかけてみたところ、教師の一人が、現状では農家や農業関連の職業に関するキャリアビジョンを考えさせる指導は難しいと認めました。
そのうえで、「"農業”は教育ツールのひとつなのです。"農業”を通して、生徒をいかに成長させるか指導するのが農業高校の実情なんです」と話していました。
農業は教育ツールか
農業を教育ツールとして、生徒の成長を目指す考えは、教育としては決して間違いではありません。
ただ、この連載でも繰り返し述べたように、地域農業の担い手を輩出する役割を果たしてきたかつての農業高校の姿を振り返ると、これは大きな問題です。
このような現状では、農業高校から就農する生徒は減っていくままですし、そもそも農業(関連)の仕事に興味を持つこと自体、難しいかもしれません。
実際、農業高校の卒業生の進路実態を見ると、大半の生徒が農業とは関係のない専門学校に進学したり、職業を選んでいます。
この状況は北海道だけに限りません。本州の農業高校を訪問したときにも、教師の反応はほぼ同じ。
農業高校から東京農業大学に進学して、今は教鞭をとる立場としては寂しい限りですが、これが今の農業高校の実態なのだと思います。
そんな高校生や大学生に向けて、農業へのキャリアを意識させるには、どんなアプローチをするべきなのでしょうか?
──それにはやはり、農業や農家が「カッコいい」「魅力的だ」と若者があこがれる職業だと意識させることが、カギを握ると思うのです。
若者に憧れてもらうために何をすべきか?
農家が憧れの存在になるためには、前回指摘したように「農家としての品格」が問われます。
ひと昔前には、『国家の品格』や『女性の品格』といった、"品格本"がブームになった時代もありましたが、「品格」は一朝一夕に形成されるものではなく、本人の意識や経験の積み重ねの末に備わるものです。
前回の記事では、これからの農家に求められるのは、幅広い経営知識があるジェネラリストと起業家精神を兼ね備えた資質であると指摘したうえで、「農家としての立ち振る舞い」や「品格」を若者に示すべきだと申しました。
若者とのかかわり方においては、特に教育指導者としての資質が問われますから、この資質を身につけるためにも農家側にも教育が必要になってきます。
ただ現実問題として、農家を教育するとなると、ハードルもあります。ふだんの生産活動とは直接関係がありませんから、「教育」という観点だけでは関心を持ってもらうことは不可能です。
「農業高校や大学生に教えてあげてもいいよ」という理解のある農家がいたと仮定して、彼らを対象に「教育指導者」を養成するためのカリキュラムを作ったとしても、現実問題として参加する農家はごくわずかでしょう。
その点では、まずは農家に対して「なぜ教育指導者としての資質が必要なのか」を理解してもらう必要があるのです。
食農教育を通じた農家の教育
私が生活している北海道のオホーツク地域は、大規模畑作を中心とした農業が展開されています。
生産されているのは主に、麦類(小麦・大麦)のほか、砂糖の原材料である甜菜、デンプンの原材料のジャガイモといった加工用作物が多いのですが、次に紹介する「株式会社大地のMEGUMI」は、有機栽培と特別栽培にこだわって、ジャガイモ、カボチャ、グリーンアスパラなどの生産だけでなく、それらを活用した加工品の開発も取り組んでいます。
大地のMEGUMIでは、地元の小学校と連携して、有機圃場でのカボチャの栽培や収穫体験のほか、実際に収穫したカボチャを地域のイベントで小学生が販売実習を行う体験学習が人気です。
体験学習と言っても、よくあるサツマイモ掘りのようなものではありません。素手で触っても安全な無消毒の種をまいたり、除草剤を使わずに手で雑草を抜いたり、畑に張ったマルチはがしにも挑戦します。
言わば、農作物の生産から販売まで、一連の流れを体験できるもので、2023年7月には認定こども園の年長組も初参加しました。
大地のMEGUMI代表取締役の赤石昌志社長はもちろん、ホテルのシェフや大学教員が出張して、有機栽培や有機農作物について授業する機会も充実しています。
大地のMEGUMIからは、学校給食への食材も提供しています。農家と学校と地域が連携して、食の安全・安心や有機農作物のおいしさを知る「食農教育」に力を入れているのです。
食農教育は、大学の実習や研修、自治体の農政部の職員研修にも取り入れられています。2023年6月には、これまでの功績が認められ、大地のMEGUMIは農林水産省の食育活動表彰で「消費・安全局長賞」を受賞しました。
子供たちが楽しめる教育の提案を
代表取締役社長の赤石昌志さんは、食農教育の活動は、農家の意識改革や、農家が“教育指導者”としての資質を身につけるきっかけになっていると話しています。
「子供たちは正直ですから、つまらない時は“つまらない”、おもしろくないものは“おもしろくない”とハッキリ言います。私たち農家が意識しなければならないのは、子供たちが興味・関心をもってくれるような食農教育を提案しなければならないということです」と赤石さん。
赤石さんによれば、子供たちが実習という形でカボチャの生産活動に協力してくれるからこそ、農家は今の生産活動を継続できていることを生産者は忘れてはならないと言います。
食育教育を続けられるのも、「協力してやっている」という意識では続かない、常に子供たちのおかげだという感謝の気持ちを持っていると言うのです。
そのうえで、食農教育の展開には、農家自身が農業の先生として、子供たちがしっかり理解できるように作業内容を説明したり、どうしてこの作業をやらなければいけないのか伝える必要があると指摘しています。
赤石さんは言います。「食農教育は子供が学び、成長する機会になっていますが、実は食農教育にかかわっている農家の方が、教える以上にたくさんのことを学んでいるのです。子供たちへの食農教育を通じて、私たち生産者の方が成長させてもらっているのです。」
農家に教育指導者の資質を教えるカリキュラムをわざわざ作る必要はありません。食農教育など次世代との交流を通じて、農家自身が教育指導者としての自覚に芽生える良い機会になっているのです。
地元農家が主体となって、新規就農希望者を受け入れる
山形県でも、参考になるモデルケースがあります。「大江町就農研修生受入協議会(OSINの会)」です。
「OSINの会」は、大江町の「O」、就農研修生の「S」、受け入れの「IN」の頭文字から 「OSIN」と名付けられた新規就農者の受け入れ組織です。
最上川の流域に広がる大江町は、NHKの連続ドラマ「おしん」のロケ地になったこともあり、農業研修は受入農家も研修生も辛抱が必要だという意味を込めて、この名前になったそうです。
2013年4月の発足以来、すでに21人が研修を終えて新規就農者として独立しており、新規就農者の家族を含めると約60人が大江町に移住して、農業だけでなく、町づくりなどに活躍されています。
特に注目したいのは、地元農家が主体となって活動している点です。
すももなど果樹を中心に、水稲や野菜、施設園芸など10数人の複数の受け入れ農家から、それぞれ異なる農業のあり方を学ぶことができるとともに、地元農家が主体になるからこそ、土地の賃借などもスムーズに展開できるというメリットがあります。
大江町に新たに就農した卒業生は、今度は地元の先輩農家として、新規就農希望者をサポートする側にまわるといった理想的な支援体制が構築されています。
新規就農者の受け入れに力を入れているほかの多くの地域は、地元行政やJAが主体になっています。
しかし、新規就農や移住・定住を考えている人は、「ここではどんな農業ができるのだろう?」「地域に馴染んで、長く暮らしていけるんだろうか?」と不安を感じているわけですから、一緒に活動していくことになる先輩農家や地域社会がどのように迎え入れてくれるのか、ということをイメージできることが大切なのです。
今回は、新規就農者を増やすために地道な活動を展開されている「大地のMEGUMI」の食農教育と、「OSINの会」の新規就農受け入れにクローズアップしました。
新規就農支援にまつわる取り組みは、他の地域でも行っていますが、この2例が他と異なるのは、農家自身が、主体的に若い世代と交流の場を持ち、その結果として「教育指導者としての資質の必要性」を実感している点なのです。
農家ってカッコいいな、農業って大変だけど、楽しそうだなあ…。そう夢見て農業を目指す若者を育てるのは、農家自身にかかっています。若者に「あんな人(=農家)になりたい」と目標としてもらえる、教育指導者として農家を増やしていくのが、現状を打開する突破口なのではないかと思っています。
──若者へのアプローチは、すでにスタートしています。
東京農業大学生物産業学部と北海道内の農業高校では2022年から、YUIMEの協力で「カッコいい農家に触れさせるキャリア教育プログラム」に試験的に取り組んでいます。
プログラムを通じて、協力してもらう農家には、10代の若者たちにとっての憧れの存在となるロールモデルになっていただくと共に、新規就農希望者を増やすための教育指導者としての資質を伸ばす機会になってもらいたい……。
始まりは小さな種をまくところからですが、これから少しずつ根を張って、やがて農業を志す若者がたくさん芽を出してほしい、そんな気持ちで取り組んでいるのです。
この記事の執筆
東京農業大学生物産業学部自然資源経営学科准教授。1982年新潟県で生まれ、兼業農家で育つ。農林水産業のコンサルティングなど民間企業を経て、2013年に同大学の博士研究員、翌14年同大学同学部地域産業経営学科助教に就任。オホーツクを拠点に全国各地の農林漁業地域の活性化に向けて飛び回る。YUIME Japanでは農業を通じたファッションや地域イベントの企画など「農業女子」からの相談で人気。未来の農業界を担う若い世代の気持ちを代弁する教育者だ。