2022年、ロシアのウクライナ侵攻と歴史的な円安を受けて、日本農業はかつてない大打撃を受けました。
紛争の当事国であるロシアとウクライナが、エネルギーと穀物の世界市場でシェアを占めていたことから、化学肥料や穀物飼料など、輸入資材への依存度が高かった農業・畜産分野は、価格上昇の影響が直撃しました。
国際情勢の見通しが不透明ななか、このままでは日本の農業生産力は空洞化し、食料安全保障はかつてないほど危機的状況にさらされます。
目前に迫る食料危機について、日本の農業・食料を守ることが安全保障の最優先課題だと訴える鈴木宣弘氏は、「生産者と消費者をつないで、国民一人ひとりが危機に立ち向かう必要がある」と主張しています。注目の連載開始!
この記事のポイント
・食料自給率の実態は?
・種や肥料の海外依存のリスク
・コメの自給率は高いが…最悪のシナリオ
・「国際物流停止で世界の餓死者が日本に集中する」米ラトガース大研究
・クワトロ・ショックが契機となった食料
・肥料争奪戦・中国が食料を「爆買い」
・海外依存からの脱却こそが食料安全保障への道
はじめに
日本の食料自給率は種や肥料の自給率の低さも考慮すると、38%(カロリーベース)どころか10%あるかないかで、局地的な核戦争が勃発して、海外からの物流が停止したら、世界で最も多くの餓死者が出るのは、食料自給率が低い日本だという試算も出されている。
食料や生産資材の輸入が思うようにできなくなりつつあるなか、今こそ、国内農業生産を増強しないといけないはずだが、逆に、日本の農家は輸入 生産資材の高騰にもかかわらず、農産物の販売価格が上がらないため赤字が膨らみ、廃業が激増している。
さらに、コメや牛乳は余っているとして、政府や生産団体が「コメを作るな」「牛乳搾るな」「牛殺せ」などと要請する一方で、WTOウルグアイ・ラウンドで合意した「 最低輸入義務」を旗印に大量のコメや乳製品の輸入を続けているばかりか、ついに生乳廃棄が始まった。これでは、食料危機に備えるどころか、「セルフ兵糧攻め」とも言えるような、日本自らが国民の食料を減らしてしまっている。
食料や生産資材の輸入がさらに滞るような事態になったら、日本人の餓死が現実味を帯びてくる。
日本の食料自給率38%というのは、先進国で最低水準だが、本当はもっと低い。どういうことかというと、飼料以外の生産資材の自給率が考慮されていないからである。
畜産の飼料については、例えば鶏卵の自給率は97%と日本の農家はよく頑張ってくれているが、その主なエサのトウモロコシの自給率はゼロである。エサの輸入が止まれば、実際の自給率は12%まで下がってしまう。このことは、先の38%という数字に組み込まれている。
資料:2020年(A)は農水省「総合食料自給率、品目別自給率等」から。 推定値は、東京大学鈴木宣弘研究室による。生産規模の縮小や廃業により傾向的に生産が減少すると見込まれる。
※1:畜産物は輸入資料への依存度が高いため、ここでは、飼料自給率を反映しない「食料国産率」という言葉を使う。
※2:種の自給率10%は野菜の現状で、種子法の廃止などにより、コメと果実についても野菜同様になると仮定しているが、化学肥料の輸入がストップして、生産が半減する可能性は考慮されていない。
種や肥料の海外依存のリスク
新たに判明した問題は、まず「種」である。このことはコロナ・ショックで判明した。野菜の自給率は80%とされているが、その種の90%は海外の畑で種採りをしてもらっている。
しかし、コロナ・ショックで物流が止まり、種の入手に不安が広がった。本当に止まってしまったら、野菜の自給率は80%でなく8%になってしまう。
さらに、ウクライナ紛争で、化学肥料の深刻な実態が判明した。実は、日本の化学肥料原料のリン、カリウムが100%、尿素の96%が輸入依存なのである。まず、リンと尿素の多くを依存している中国が自国内の需要への対応を優先して、ウクライナ紛争の前から輸出抑制を始めた。
もっと深刻なのは、高くて買えないどころか、すでに原料が揃わないから製造中止に追い込まれた配合肥料も出てきており、今後の国内農家への肥料供給の見通しが立たなくなってきている。
コメの自給率は高いが、「種子法」廃止による最悪のシナリオ
コメの自給率は現在ほぼ100%だが、安心はできない。
2018年に「種子法」が廃止されたことによって、かつては国や県が開発・供給に関わってきた米や麦・大豆といった公共種苗事業を、民間企業に譲渡する方向性が打ち出された。
このため「種」の自給率という面から制度改定を考えると、現在は100%に近いコメの種も野菜と同じ10%まで低下するという最悪の事態も想定される。
前述の試算には、化学肥料の原料がほぼ100%海外依存であることは考慮されていない。化学肥料がないと慣行栽培なら収量は半減する。つまり、化学肥料原料の海外依存も考慮すると、コメや野菜の実質的な自給率は数%だという実態が浮き彫りにされるのだ。
「国際物流停止で世界の餓死者が日本に集中する」米ラトガース大研究
物流が停止してしまったときの我々の命の脆弱性を今こそ認識し、抜本的対策が急がれる所以(ゆえん)である。このタイミングに、そのリスクを裏付けるデータが最近、海外の大学からも出された。
2022年8月、朝日新聞が核戦争に関する衝撃的な研究成果を報じた。米国ラトガース大学の研究者らが学術誌『nature food』に発表した論文「Global food insecurity and famine from reduced crop, marine fishery and livestock production due to climate disruption from nuclear war soot injection」によると、15キロトンの核兵器100発を使用した局地的な核戦争が勃発した場合、直接的な被爆による死者は2,700万人だが、500万トンの粉塵が発生して、太陽光を遮り、地球規模で気温が低下する 「核の冬」の到来が予想される。
農作物などへの影響を分析した結果、食料生産の減少と物流停止によって2年後の餓死者は、食料自給率の低い日本に集中し、世界全体で2億5,500万人の餓死者のうち、約3割の7,200万人が日本の餓死者(人口の6割)だと推定している。
実際、種と肥料の海外依存度を考慮したら、日本の実質的な自給率は今でも10%に届かないくらいなのだから、核被爆でなく、物流停止が日本を直撃すれば、餓死者が世界の3割に及ぶどころか、米ロ間で核戦争が起きた場合は、日本人が全て餓死するという数値は大袈裟ではない。
重要なことは、核戦争を想定しなくても、世界的な不作や敵対による輸出停止・規制が広がれば、日本人が最も飢餓に陥りやすい可能性があるということである。先の論文では筆者が繰り返し警鐘を鳴らしてきた意味が、如実に試算されている。
クワトロ・ショックと農家の苦境が契機となった食料・肥料争奪戦
今、我々は「コロナ禍」での物流停止、中国の食料需要増加による「肥料の爆買い」、そしてもはやあたりまえとなった「異常気象」によるあいつぐ不作にくわえて、それにとどめを刺したのが「ウクライナ紛争」だという「クワトロ(4大)ショック」に見舞われている。すでに世界は食料危機に突入し、輸入途絶は現実味を帯びてきている。
米国農務省(USDA)の統計を利用した農水省の分析によると、世界の小麦輸出量は、ロシアとウクライナが全体の3割を占めている。
物流停止には、3つの要素が 重なっている。
ロシアと同盟国のベラルーシは、食料・資材の輸出を戦略的に制限することで武器として使っている。
「世界の食糧庫」だったウクライナは、耕地を破壊されて、播種も十分にできなくなった。海上を封鎖されて、輸出したくても出せないという物理的な停止に追い込まれた。また2022年5月には、植物の種子の遺伝情報を保存する世界最大級の種子銀行(シードバンク)の研究施設が損害を受けたことも報じられている。
もうひとつは、インドのように自国民の食料確保のために防衛的に輸出規制する動きだ。米シンクタンクの国際食糧政策研究所(IFPRI)によると、こうした輸出規制は、29カ国に及んでいる。日本は小麦を米国、カナダ、オーストラリアから買っているが、代替国に需要が集中して食料争奪戦は激化している。さらに、先述のとおり、化学肥料の深刻な実態が判明した。
中国が食料を「爆買い」
最近顕著になってきたのは、中国などの新興国の食料需要が想定以上に伸びている事態である。コロナ禍からの中国経済回復による需要増だけではとても説明できない。
例えば、中国はすでに大豆を約1億トン輸入している。日本が大豆消費量の94%を輸入しているとはいえ、中国に比べたらたかだか300万トンと、端数に過ぎない。
中国が今後、もう少し買うと言えば、輸出国は日本のような小国に大豆を売ってくれなくなるかもしれない。今や、中国のほうが高い価格で大量に買う力があり、各国からのコンテナ船も相対的に取扱量の少ない日本経由を敬遠しつつある。
そもそも大型コンテナ船は中国の港に寄港できても、日本の港には寄港できず、中国で積み直してから日本に向かうことになるなど、円安などの要因と相まって日本に運んでもらうための海上運賃が高騰しているという。
海外依存からの脱却こそが食料安全保障への道
ウクライナ紛争を受けて、原油価格が上がると、その代替品となる穀物から作るバイオ燃料(トウモロコシから作られるエタノールや大豆のディーゼル)の需要も押し上げ、穀物価格の暴騰が増幅された。
原油価格の高騰のほかにも、頻発する「異常気象」がもはや「通常気象」になるなかで、世界的な食料供給システムが不安定さを増している。需給ひっ迫要因が高まることで、慢性的に価格が上がりやすくなっているのだ。
今、突き付けられている現実は、食料、種、肥料、飼料などを、海外に過度に依存していては国民の命を守れないということである。
それなのに、貿易自由化を進めて調達先を増やすのが「経済安全保障」であるかのような議論がまだ行われている。(編集部注:2022年1月の岸田文雄首相の施政方針演説で語られた。)
根幹となる長期的・総合的視点が欠落している。国内の食料生産を維持するために自給率を高めるのは、短期的には農産物の輸入より高コストだ。しかし 、飢餓を招きかねない不測の事態がもたらすはかりしれないコストを考えれば、長期的に見て、総合的なコストがはるかに低く、経済的合理性があるのである。それこそが安全保障である。命のコストを勘案しない、自由貿易論の間違いは明白になった。
このまま輸入小麦が値上がりして、食パン価格が上がっているのに、海外からの肥料、飼料、燃料などの生産資材コストが急騰しても、肝心の日本の農家が作る産物の販売価格が低迷したままならば、生産者の赤字は膨らみ続け、多くの農家が倒産しかねない。
国民も輸入を途絶したら、食べるものがなくなる。産地では、酪農家の9割が赤字で、あと数カ月持つかどうか、といった切実な声を聞く。
このまま農家の苦境に目を向けないままでいたら、国民の命が危険にさらされていることに私たち一人ひとりが気づかねばならない。
この記事の執筆
鈴木 宣弘(すずき のぶひろ)
東京大学大学院農学生命科学研究科教授。「食料安全保障推進財団」代表理事、理事長。1958年に三重県の半農半漁の家に一人息子として生まれ、田植えや稲刈り、海苔摘み、アコヤ貝の掃除、鰻のシラス捕りなどを手伝いながら育つ。東大農学部農業経済学科を卒業後、農林水産省に入省。九州大学大学院教授、米国コーネル大学客員教授などを経て、2006年より現職。近著に『農業消滅〜農政の失敗がまねく国家存亡の危機』(平凡社)、『協同組合と農業経済〜共生システムの経済理論』(東京大学出版会)、『世界で最初に飢えるのは日本〜食の安全保障をどう守るか』(講談社)