農家が100人いれば100通りの農業があると言われますが、ほとんどの農家は「慣行栽培」を実践し、それ以外は「有機栽培」や「特別栽培」などに分けられます。
最近では、慣行栽培の作物を主力商品としながらも、一部の圃場で有機や特別栽培を行うことで、高付加価値をつけて販売する経営者もいますが、生産方法を変えることは、手間がかかります。つまり省力化にはなりませんね。
そうしたなか、まったく新しい考え方として「リジェネラティブ農業」という言葉が、2023年の農業界のトレンドとなりました。
“リジェネラティブ(regenerative)”とは「再生させる」「傷ついた組織を復元する」という意味で、持続可能(サステイナブル)と合わせて、環境負荷が低い前向きなイメージがありますが、その目的は読者の皆さんもご存知の「土づくり」にあります。
日本では昔から「篤農家」と呼ばれる農業の達人が、それぞれの経験に裏打ちされた土づくりのレシピが伝えられますが、それがなぜいま、注目されているのでしょうか?
北海道大学大学院の小林国之先生がアメリカでの視察研究で目にした最新のリジェネラティブ農業について解説します!
この記事のポイント
・農業の「あたりまえ」がズレてきた
・地球温暖化と農業経営の行き詰まり
・畜産がカギを握る
・アラン・セイボリーの主張
・土壌再生が農業経営を「再生」する
・人から人へ広がるリジェネラティブ農業
・リジェネラティブ農業がもたらす効果とは?
・マニュアル化された農業は効率的だが…
農業の「あたりまえ」がズレてきた
リジェネラティブ(regenerative)農業とは、健康な土を作ることを目的とした農業のことです。そのやり方は各自のおかれている条件下でさまざまに異なりますが、土を健康にするための原則と、そこから派生する自由度がリジェネラティブ農業の一番の特徴だといえます。
健康な土をつくることは、農業においていわば最も大切なことです。土づくりは、昔から篤農家たちがさまざまな技法を生み出しては実践してきた農業の根幹とも言えるでしょう。いってみれば「あたりまえのこと」が、なぜいま注目されているのでしょうか。
農業の「いま」のあたりまえが、土づくりという農業「本来」のあたりまえとはズレてきてしまっている、ということの証左だともいえるでしょう。
今回は、このリジェネラティブ農業がなぜ最近になって注目されるようになったのかを紹介したいと思います。
地球温暖化と農業経営の行き詰まり
私はそこにふたつの流れがあるのではないかと思っています。
ひとつは地球環境、地球温暖化という文脈です。農業は温室効果ガスの重要な排出源のひとつです。
よく引き合いに出されるのは畜産業で、牛などの反芻(はんすう)動物が出すメタンの削減は、重要な国際的行動目標になっています。
2021年に、英国グラスゴーで開催されたCOP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)では、メタンの削減目標(2020年を基準として、少なくても30%削減を2030年までに達成する)が111の国によって合意されています。
畜産がカギを握る
こうした流れを受けて、厳しい目が向けられている畜産業ですが、一方で家畜を有効に活用することで、気候変動対策、地球環境保全に具体的な効果を上げることができる、と主張する人がいます。それが、アラン・セイボリー(Allan Savory)さんです。
アフリカ南部ジンバブエ出身の生態学者であるセイボリーさんは、自らの経験を元に、動物は本来、草地を持続的に維持するための重要な役割を果たしてきたという説を提唱しています。
彼の主張はこうです。家畜を適切に移動させることで、草地が緑地として維持され、その土地には排泄物によって、多くの有機物が蓄積されます。その結果、温暖化の原因となる温室効果ガスを地中に閉じ込めることができるというのです。
さらに、すでに砂漠化した土地であっても、家畜を活用することで蘇らせるということを、実践を通じて世界に発信している研究者なのです。
彼は、リジェネラティブ農業という言葉ではなく、「ホーリスティック・マネージメント(Holistic management=全体的な管理)」という考え方で、こうした取り組みを進めており、国際会議の場やTED(米国の非営利団体が行なっている世界的な講演プログラム)などでもその理念と実践を発表しています。
家畜は、環境の破壊者ではなく、再生することができる存在なのだという主張です。そのなかで、土の再生、リジェネラティブ農業のもつ可能性が関心を集めるようになってきたのです。
土壌再生が農業経営を「再生」する
もうひとつの文脈は、オーストラリアやアメリカなどの大規模な農業地帯の農業経営者たちが、自ら実践する取り組みのなかから、土壌の再生による農業経営の「再生」を実現してきたというケースが、書籍や勉強会、セミナーなどを通じて広く知られるようになった流れがあります。
特にオーストラリアは、2000年前後から気候変動、とくに干ばつの影響で農業生産が大きな被害を受ける事態があいついでいます。
そうしたなかで、農業経営が立ち行かなくなった農業経営者たちが、生き残るために試行錯誤して取り組んだ結果が、次第に効果を上げるようになってきました。
その代表例が、米ノースダコタ州で農業を営み、『土を育てる:自然をよみがえらせる土壌革命(原題:Dirt to Soil: One Family s Journey into Regenerative Agriculture )』を著したゲイブ・ブラウン(Gabe Brown)さんです。
ゲイブさんは4年連続して凶作にあえいだ結果、できるだけ自然に従って、化学肥料や化学農薬を使わず、土を耕さないで(不耕起栽培)採算が取れるようになるまでをこの本にまとめました。
彼をはじめとするリジェネラティブ農業の実践者たちは、自分たちがそれぞれの土地で長年蓄積してきた健康的な土づくりの原則を他の農業者にも積極的に広めてきました。
経験に裏打ちされた説得力と、それに影響を受けた人々が、それぞれの人たちがおかれた異なる気候風土や経営的条件下で試行錯誤して取り組み、その努力の結果を、今度は別の農業者や研究者などと共有を繰り返すことで、リジェネラティブ農業を実践する波が広がっています。
人から人へ広がるリジェネラティブ(regenerative)農業
この動きに関心を持った私は2023年秋に米国の実践農場に視察旅行に行きました。その結果、リジェネラティブ農業の原理原則だけではなく、この広がり方こそが、大きな特徴であり、可能性だと感じました。
なぜなら土づくりに取り組む人にとっては、どんな効果を重視しているのかは人それぞれに異なります。
私は2023年、文部科学省の科学研究費(科研費)助成事業の一環で、米国に調査に行きました。現地で出会ったリジェネラティブ農業の実践者や研究者への取材を通じて、彼らの間でリジェネラティブ農業がどのような効果があると認識されているかを次のようにまとめました。
リジェネラティブ農業がもたらす効果とは?
1. 経営的効果
ゲイブ・ブラウン氏の経験からも理解できるように、土を健康に戻すことで、化学肥料や化学合成農薬に過度に依存せず、一定の生産量を上げることができるようになります。これがリジェネラティブ農業の効果のひとつです。
さらに、アメリカのように大規模な経営面積を有するメガファームでも実現可能だ、という点が特徴として上げられます。経営効果は、リジェネラティブ農業の大きな効果として指摘できます。
農薬を使わないということは、農薬リスクに最もさらされている農業者にとって、自分や家族の健康を守るという側面で、大きな意義があります。
アメリカの視察旅行で取材した農業者のなかには、「リジェネラティブ農業に取り組む一番の理由がこれだ」と話す経営者もいました。
3. 農業者のやりがい
数字には表しにくいことですが、「農業者のやりがい」もリジェネラティブ農業の効果のひとつとして指摘できます。
これまでの農業のやり方を変えるには、大きな苦労が伴います。時として絶望的な状況に陥ることもあるでしょう。
ですが、土を健康にすることは、農業者にとって大きなやりがいと悦びをもたらしてくれるようです。
単一作物を1年中連作するいまのモノカルチャー化した農業は、極めてマニュアル化された農業でもあります。そのなかでも特に、遺伝子組み換え作物は、農業者は種苗メーカーや、農薬メーカーが指定する栽培マニュアルに沿って「日々の作業をこなす」ことに追われることになります。
マニュアル化された農業は効率的だが…
栽培がマニュアル化された農業は、言い換えると、極めて効率化された農業だといえます。しかしその反面、「言われたことをやるだけ」の農業ともいえるでしょう。
一方でリジェネラティブ農業には、「こうやれば良い」というマニュアルはありません。
自分の土の状況を日々観察し、そこから変化を読み取って、対策を講ずる──、そしてまた観察するという日々の繰り返しです。
これを「面倒くさい」「暇がない」と厭う人がいる一方で、そこに悦びを見出す。それもリジェネラティブ農業の効果だと言えるのではないでしょうか?
4. 栄養ある食
健康な土には、たくさんの微生物が生息します。私たちが口にする農畜産物は、有益な微生物が植物と共生した結果として生まれた食べ物だと言えます。
それらは、あらかじめ一定の栄養分を含むように決められた工業製品である化学肥料を与えて育った農畜産物とは異なる栄養構造になっていることはよく知られています。
5. 生態系保全、温暖化対策
リジェネラティブ農業によって、炭素を土中に取り込む、圃場に多様性を生み出すことで、生態系の保全を行う。
これらもリジェネラティブ農業の効果のひとつです。アメリカで出会った農業者のなかには、「温暖化対策」が目的だと話す人もいました。
また、土の健康を取り戻した結果が、温暖化対策につながれば、というように、間接的な形で温暖化対策を考えている人もいました。
それは、何のために農業経営を行うのか?という経営理念とも関係しています。いずれにしても、自らが耕している土地と、地球、生態系との繋がりを意識しているということは共通しているようでした。
持続的かつ自律した社会経済システムをめざして
リジェネラティブ農業の効果のひとつとして、最後に指摘するのは、今の農業や食を取り巻く社会経済システムを、より持続的・自律的なものにしていこうという動きです。
アメリカの農業は、国の政策や、資材メーカーなどの影響を大きく受けています。国の支援なしでは成り立たないというのが、大半の農業経営の実態です。この点は日本の事情とも重なります。
「それでいいんだ」と受け入れる人もいるかもしれませんが、政策に大きく左右される、メーカーに自分の経営を左右されるという農業のあり方に疑問を持つ人も少なくありません。
「これまでの政策が大きく方向転換したら自分たちの農業経営は成り立たない。そうなったからでは手遅れなので、今から自律的な農業に変わっていかないと…」と述べて、リジェネラティブ農業に取り組んでいる経営者も少なくありませんでした。
「健康な土をめざす」ということは、栽培土壌を改良することにとどまりません。
その先にはこのような可能性が広がっているのです。
何が正しくて、どれが間違っているか、ということではありません。一人ひとりの農業者が今の自分の経営において、どこが問題と認識しているのか? その問題を解決するために「土を健康にすること」がどう関わっているのか?
そのつながり・関係性を、個々の農業者が認識・意識することが大切なのです。
この記事の執筆
小林国之
北海道大学大学院国際食資源学院連携研究部門連携推進分野 准教授
北海道大学大学院農学研究科を修了後、イギリス留学。主な研究内容は、新たな農村振興のためのネットワーク組織や協同組合などの非営利組織、新規参入者や農業後継者が地域社会に与える影響など。また、ヨーロッパの酪農・生乳流通や食を巡る問題に詳しい。主著に『農協と加工資本 ジャガイモをめぐる攻防』日本経済評論社(2005年)、『北海道から農協改革を問う』筑波書房(2017年)など。
Special Thanks to:Mr.Gabe Brown