少子高齢化によって農業の担い手が減少するなか、国や自治体、JAは新規就農者を増やすためのさまざまな取り組みを始めています。
そうしたなか、最近注目されているのが「第三者承継」。農業は長い間、農家に生まれたあとつぎが、農地と家業を引き継いでいくイメージがありましたが、もはや、そんな悠長なことを言っている段階ではありません。
自身は7代続く農家に生まれ、サラリーマンを経験後、水稲種子農家を継いだ伊東悠太郎さんは、JA全農時代に、事業承継を推し進めるためのハンドブックを作成し、脱サラ後は農業界初の事業承継士として、執筆活動を行っています。
今回は非農家から、富山県で酪農家として独立された青沼光さんと対談形式でお伝えします。(画像は青沼さん提供)
この記事のポイント
・非農家が新規就農するのは不可能だった時代
・選択肢は無限だが、選ぶ苦労もある……
・後継者不在の農家とどう出会うか?
・第三者承継後の課題とは?
伊東悠太郎:農業の事業承継士とはいえ、第三者承継について考える企画で、親元就農の僕が論じても説得力に欠けるんじゃないかと思って(笑)、今回は、同じ富山県で第三者承継した酪農家の青沼光さんをお招きしました。
青沼 光:こんにちは!私は富山県高岡市でclover farm(クローバーファーム)の代表をつとめる酪農経営者です。広島県の両親共働きのサラリーマン家庭という酪農とは無縁の環境で育った私が酪農と出会ったのは、TVで白黒の牛が草原を走っている番組を通してでした。
そのころ、高校進学を控えた中学2年生だったこともあり、将来の自分の生き方を模索していました。両親は朝早く出勤して夜遅くに帰宅、休日は日曜日だけという働き方を見ていて、サラリーマンとして40年勤めあげる人生に疑問を抱き、家で牛を飼い生活をする酪農家というライフスタイルに憧れを抱いたのです。
非農家が新規就農するのは不可能だった時代
伊東:なるほどなあ、サラリーマンというご両親の仕事に対する疑問があったんですね。そこは、農家の両親を見て育った僕らとはスタート地点からして違いますね。
青沼:うん。牛の放牧シーンがすごく開放的で自由に見えた 。
それを機に、広島県の農業高校に進学し、経営者を目指すならと新潟大学農学部にも入学して、将来の経営に役立てようと、草地学や牛の繁殖について学びました。
青沼:でも、酪農って非農家出身者がまったくのゼロから新規参入するには、莫大な初期投資を必要とするので、当時の資金制度ではほぼ不可能でした。
そこで、既存の酪農家が高齢などで引退したり、離農するときに、あとを引き継ぐ“第三者承継”ならハードルが低くなると考えたんです。ふたつの牧場に雇用就農して、合計6年の実務経験を積んだのち、結婚した妻の出身地でもある富山県で、離農予定の酪農家から資産を買い受け、2015年に独立したんです。すでに牧場施設があったので、居抜きで就農する形でした。
伊東:第三者承継というのは注目度の高さのわりには事例も少ない。それに相手がある話なので、第三者承継がどのように進められるものなのか、内情を教えてもらえるケースは非常に少ないんです。だからこそ、青沼さんみたいに、一部始終を包み隠さず話してもらえる方って貴重なんだと思います。
まずお聞きしたいのは、非農家が事業承継を進めるうえで、どんな課題があるんでしょうか ?
選択肢は無限だが、選ぶ苦労もある
青沼:酪農に限らず、農業を始めるにはまず、どこで、どのようにどのくらいの規模で経営するのかといった「環境」や「規模」「立地」などの条件を考える必要があります。
事業承継の場合となると、さらに、人や引き継ぐ経営の状況など選ぼうと思えば、条件は無限に広がります。しかし、どんな業種であっても初期投資は必要になりますよね。
伊東:私のような親元就農では、選択肢があるということ自体がすごく羨ましいんですが、選択肢がありすぎると、逆に選ぶ苦労も大変なんですね。そして、第三者承継、とりわけ畜産業界は金銭的な問題が大きなネックになりますものね。
青沼:そのための自己資金は貯金、あるいは融資により用意します。
私の場合は、先に挙げた条件にそれほどこだわりは無く、酪農業ができる環境であれば、そこに適応するだけの準備はしていたので、課題は資金調達だけでした。
農業のなかでも、畜産業は多額の資金調達が必要であることは先ほどから繰り返していますが、私は二つの牧場で研修しましたが、その間の給与はかなり少なかった。勤務先の牧場の同僚だった妻と結婚していましたが、貯金はほぼできませんでした。
そこで、就農支援に向けた資金融資を受けるために、あらかじめ、経営計画を根拠のある数字で細部までシミュレーションし、説得力のある資料を作りこみました。融資先から、簡単には突き返されないように事業計画を練ったことで、資金制度の審査を比較的スムーズに通ったのではないかと思います。
親が作った決算書などの数字を見ないまま継いだ私からすれば耳が痛いことばかりですが(苦笑)、就農初期から今日に至るまで、数字の勉強って意識的に取り組まないと後回しにしがちですよね。それを独立までの準備段階から綿密に計算しておられたのは大きなポイントですね。
後継者不在の農家とどう出会うか?
伊東:また、さまざまな条件を選べたはずなのに、敢えてそうしてこなかったのも大きなヒントになりそうです。「もっと良い立地で」「もっと新しい設備で」「もっと従業員もたくさんいて」など、こだわればこだわるほど、キリがないわけですが、そこに固執しなかったというのは興味深い。経営者も後継者ともに、多くの農家はここに固執してタイミングやチャンスを逃している気もします。
青沼:私の場合、最初から第三者承継を念頭に置いていたので、まずは後継者がいない農家の情報をキャッチすることが何よりも優先課題でしたからね。
伊東:そうか。緻密な事業計画や条件を云々する前に、廃業する予定の農家とどう出会うか、といったマッチングが一番の課題ですね。
青沼さんの場合は、たまたまなのか、運命なのか、マッチングが成功しましたが、ここはJAや行政が仕組みとしてもっと積極的に取り組んでいかないとなかなか進まない。逆にいえば、新たなビジネスチャンスを構築できる可能性なのかも…。
一般社団法人中央酪農会議が運営している「酪農家になりたい– 酪農を未来へ。」は、まさにその核になりそうなマッチングサイトなんじゃないかなと思いますね。まだ掲載件数は少ないですが、内容を充実させて、実績を増やしていって欲しいですね。
第三者承継後の課題とは?
伊東:さて2015年の事業承継から、今年ですでに8年。新しい設備も建てて、夢だった放牧も叶えられましたが、現時点で経営はいかがでしょうか?
青沼:コロナ禍で学校給食が休みになったり、ウクライナ危機で飼料や資材が高騰したり、酪農業界全体が苦難の時代です 。
私の場合も、借入金を返済する償還財源となる売上をつくる乳牛の仕入れ価格が、事業計画段階に比べて、開業と同時に2倍近い価格に高騰してしまいました。これは想定外の事件で、当時は「冗談でしょ」と泣き笑いするしかなかった。
伊東:話は逸れるけど、その危機をどうやって乗り切ったの?
青沼:専門的な話になりますけれど、2015年当時は乳牛の市場価格が高騰していたから、生産規模を拡大するために、牛を増やすことがなかなかできなかった。だから乳の出が悪くなって廃用処分される予定の牛を安く買い取って、もう一度現役で働けるよう餌を改良して、牛を再生させたんです。
これを可能にしたのも、僕自身が経営者になったからだと思います。大事なことは、事業承継の準備段階から、経営シミュレーションをしっかりと行っておけば、悪い状況があっても自分で乗り切れる一手を見出せると思います。
伊東:なるほどなあ。資金繰りの話だけに限らず、参考になる話ですね。
これから農業を始める人を「認定新規就農者」として市町村が認定する制度がありますが、この認定の際に作成する「青年等就農計画」にも当てはまることだと思います。
当初の計画通りにうまく営農できたら誰も苦労しないので、何かトラブルがあった場合にも、臨機応変に対応できる能力が必要です。また、計画作りに関しては、セカンドオピニオン的に意見を言ってもらえる支援者や地銀など、金融機関の存在も大きいと思います。
第三者承継の場合、せっかく引き継いでも、フタを開けてみたら施設や機械が想定よりも古く、すぐに修繕や機械設備を新しくしなければならない場合、新たな投資が必要になることも珍しくありません。
こうしたことを考えると、特に畜産で開業する場合、国の資金制度だけでは不十分だと思います。先ほどの認定新規就農者が利用できる「青年等就農資金」は無利子で上限3,700万円借りられる制度ですが、とても足りなかった。
2019年にはこうした経験を、農林水産省の「食料・農業・農村政策審議会」で発言したところ、今は、特認限度額1億円があります。
農業は補助金漬けだなんて批判する人もいますが、農水省が本気で新規就農者を増やしたいと考えているなら、この問題を正面から考えていかないと、次の世代を産み育てるための一次産業全体が衰退してしまうんじゃないでしょうか。
伊東:最後は富山県乳牛協会会長としての発言が出ましたね(笑)。
青沼さんのような覚悟を決めて第三者承継をされる方々には、例えば第三者事業承継特例のような形で、国や自治体から何らかの優遇措置があってもよいと思いますね。
農業従事者がこれだけ減少するなか、国の制度として第三者承継を後押ししていかないと、これ以上増えてこない気がするんです。
青沼:どんな制度設計が良いのか、実体験者としてもっともっと声をあげていかねば。
伊東:それはさておき、第三者承継に話を戻すと、青沼さんの場合、事業承継した後、前の経営者が経営に対して一切口出ししてこなかったことも、大きかったんじゃないかな。
第三者承継の場合、元の経営者が現在の経営にたびたび反対意見をはさんできたことで、それに耐えきれず破綻してしまうケースも珍しくありません。
青沼:それは、離農する元の経営者の体調の問題もあって、たまたまそうなりました。
元の経営者と、次の経営者コミュニケーションでトラブルを抱えるケースは多いので、確かにプラスに働いたような気もしますが、色々と技術を教えて貰いたかったという気持ちもありますね。このあたりは、コミュニケーションを上手に取りながらバトンパスしていく事例が増えて欲しいですね。
この記事に登場した二人
富山県の水稲種子農家として生まれ、2009年にJA全農に入会。『事業承継ブック』の発行や、営農管理システム「Z-GIS」の開発などに携わる。2018年に退職し、実家を継いで就農。YUIMEでは専門家としてさまざまな農家の悩み相談にアドバイスを送るほか、農家の事業承継に関する連載を担当。近著『農家の事業承継ノート』、『今日からはじめる農家の事業承継(2万人の跡継ぎと考えた成功メソッド)』(いずれも竹本彰吾氏との共著/家の光協会)
広島県の非農家出身。中学生の時に草原を走り回る牛の映像を見たことがきっかけで酪農に憧れ、広島県立西条農業高校畜産科、新潟大学農学部を卒業。長野県の牧場で住み込み勤務したのち、富山県の新川育成牧場(くろべ牧場まきばの風)で研修。2015年、廃業予定の高岡市の酪農家から経営を引き継ぎ、「clover farm」を開業。放牧をはじめ、餌にはエコフィードを活用するなど資源循環型の農業を目指す。