鳥獣被害があいつぎ、離農を考える農家も少なくないなか、YUIMEではこれまでイノシシ被害に立ち向かう熊本の農家ハンターの活動を取材してきました。全国に目を向けると、彼らのほかにも、害獣対策を地域活性化に結びつけた先進的な取り組みを行う人が登場しています。最終回は、島根県美郷町の取り組みとともに、東日本大震災の被災地・福島県と農家ハンターとのつながりをご紹介します。
ポイント
・害獣を町の財産に
・災害で生態系が壊れる
・被災地同士が結びつく
農家ハンターの大先輩 島根・美郷町
福岡県出身の森田朱音(あかね)さんは、2014年に地域おこし協力隊の隊員として島根県邑智(おおち)郡美郷(みさと)町に移り住みました。生まれ故郷を離れて、島根県で取り組みたかったのは、かねてから生業にしたいと思っていた鳥獣害対策。
その5年前から美郷町では、将来にわたって地域が持続し、活性化することをめざして、高齢者の生活支援をはじめ、草刈りや除雪などといった農作業支援などを行う地域おこし活動を続けていました。任期を終えた2017年9月、森田さんは株式会社おおち山くじらを設立して、イノシシの捕獲やジビエの販売を開始しました。
美郷町では2000年頃をさかいに、「イノシシが畑を食い荒らす」という被害が報告されるようになりました。当初は、猟友会に協力してもらうこともありましたが、やがて住民が主体となって、獣害対策に取り組まなければならないという声が高まりました。
町の熱心な働きかけと、住民間の危機意識の高まりもあって、狩猟免許を取得した農家を中心に駆除班が結成されました。いわば「くまもと☆農家ハンター」の大先輩です。
2003年から2004年にかけては、イノシシの肉を意味する江戸時代の言葉を使って「おおち山くじら生産組合」を立ち上げると同時に、農研機構・西日本農業研究センターの協力のもと、捕獲駆除したイノシシを食肉利用する研究を始めました。森田さんが事業譲渡を受けて会社を設立した年に、生産者組合は発展的に解散しました。
山くじら=イノシシは町の代名詞
美郷町では、捕獲したイノシシを活用して、ジビエ肉やレザー加工品を開発。役場には「山くじらブランド推進課」が設置されていて、官民一体となって、ブランディングを進めています。今や、「おおち山くじら」といえば、この町のイノシシと鳥獣害対策そのものを表す代名詞となっているほど。
生産組合が結成された当時、メンバーは60代の男性が中心でしたが、20年近く経った今では、高齢化によって、第一線でプレーヤーとして活躍するのが厳しくなってきました。
そんな最中にこの町に移住してきたのが森田さんです。地域おこし活動に参加しているうちに、20年続いた鳥獣対策の火を消してはならないと、会社設立の決心を固めました。生産者組合は解散しましたが、地元の農家のおばちゃんたちが手がける革製品や小物作りは今も美郷町の財産として愛され、地域に根ざしています。
活動の火は消さず
過去20年にわたる活動が功を奏して、美郷町で鳥獣害被害は悪化しておらず、人間とイノシシの生息地の間で、ほど良い距離感が保たれています。
だからと言って、取り組みをやめれば、すぐ元に戻ることから、生息数が適切にコントロールされていても、続けることが大切だと森田さんは言います。
森田さんの姿を見て、同じように鳥獣害問題に関心を持った20代、30代の若者がこの町に移り住み、彼女の会社で働くようになりました。住民の高齢化が進んで、鳥獣害対策がいっそう難しくなるなか、若者たちの活躍は地域活性化の理想的なケースだと言えるでしょう。
その言葉には、イノシシの存在を単なる害獣としてとらえるのではなく、人間と共存共栄するための資源だとして大切にしてきた人々の思いが詰まっています。(取材協力:おおち山くじら)
災害が野生鳥獣との付き合いを変えた!
九州北部は2017年、そして2020年と二度にわたって豪雨災害に襲われました。
2020年7月に起きた九州北部豪雨の数日後、筆者が熊本県南西部に位置する八代市坂本町を訪れると、地面にさまざまな動物の足跡がついているのに気づきました。その年の冬を迎えるころには、水に浸かった建物からの泥出しや片付けなどがあらかた終わって、町には解体を待つばかりの家が目立っていました。すっかり色褪せた風景のなか、黄色と紫色の鮮やかな花を咲かせるパンジーの小さな花壇だけが、周囲を柵が囲っていて、花を守っていました。
二度の災害で生態系が変わった
坂本町は、山間部にある集落なので、もともと野生動物は身近な存在でしたが、度重なる豪雨災害によって、人間と鳥獣が暮らす地域の境界線が曖昧になってしまったことがわかりました。
小さな集落に足を踏み入れたとき、自宅の2階でひとり暮らす男性に出会いました。「ここにはいつも何かしら動物がやってくるんですよ。初めて見る動物もいたなぁ、なんて名前の動物だろうか」……人間が少なくなった集落には、すぐに野生動物たちがやってくることが、彼のつぶやきから推測されました。
人が消えた、代わりに動物が増えた
災害が生態系を変えた事例は、東日本大震災から10年がすぎた福島県でも今なお深刻です。原発事故の影響で、帰宅困難地域となった地域では、人間に代わって、イノシシやサルをはじめとする野生動物が町で暮らし始めています。
これまで山の中で暮らしていた動物たちが餌を求めて人里に降りてくるパターンが一般的ですが、福島県では人間を恐れない新世代が多く現れるようになりました。
なかでも繁殖力が強いイノシシの場合、メスは生後2年で出産します。原発事故から10年が経った今では、人間への警戒心をもたない世代が、5世代にまで増えています。
人間を恐れなくなったイノシシは、窓ガラスをつき破って留守中の人家に侵入し、保管していた食糧を食べあさり、排泄物まみれにしていきます。最悪なのは、一時帰宅した家主と鉢合わせして、興奮したイノシシに襲われるケースです。
また、元々福島県に生息していなかったアライグマの問題も深刻です。糞尿には寄生虫がいるため、アライグマ回虫の卵が付着したものを口にすると、最悪の場合、中枢神経に障害を起こす危険性もあることから、注意しなければなりません。
被災者が故郷の福島に戻れる状況になったとしても、野生鳥獣の脅威に怯えずに生活が整うまでは、これからどれくらいかかるのでしょうか? 熊本と福島のふたつの被災地からは、居住者の存在こそが、獣害から人里を守っていたことがよくわかります。
熊本から福島へ
被災地の復興をめざして、国も福島県内各地に箱罠を設置したり、講習会を開いて、鳥獣対策の啓蒙活動に力を入れていますが、現実問題として追いついていません。そこで、「くまもと☆農家ハンター」は、これまでに培ったノウハウを役立ててもらおうと、全国の学生とタッグを組んで、浪江町での鳥獣害対策に乗り出しました。
具体的には、農家ハンターの本拠地である熊本で、短期の現地研修を受けてもらった学生を浪江町に送り込む計画です。すでに「農家ハンター道場」と称する研修制度を整えているため、受け入れ体制はバッチリです。
代表の宮川将人さんは、浪江町役場の人たちや、福島の鳥獣害対策に本気で取り組みたいと考えている学生たちとのやりとりを通じて、「自分たちが現場に張り付くことはできないけれど、東北復興の後押しを熊本から協力できれば」と話しています。
国連は、持続可能な社会や未来、経済、環境をめざす17の開発目標(SDGs)の11番目に「安全で強靭(きょうじん)で持続可能な都市と人間居住を実現する」を掲げています。
平たく言うと「安心・安全に暮らし続けられる町づくり」という意味です。私たちが住む日本は、地震や津波、火山、台風など、いつ大規模災害が起こってもおかしくない災害大国です。しかし災害が起きたとき、社会生活を復興させると同時に、忘れてはならないのが、人間社会の近くにいる野生動物との暮らしの調和です。
これは行政だけ、民間だけの力では実現できません。何よりも必要なのは、地域社会に暮らす住民が、自分たちが主役になって地域を守るという意志です。
彼らが培ったノウハウが周囲に伝わって、さらに遠くへ広がるうちに、各地で連鎖反応が起これば、害獣と呼ばれている野生鳥獣が地域の宝になって資源に変わるかもしれません。
「くまもと☆農家ハンター」が始めたイノシシでつながる「イノ・コミ」(イノシシ・コミュニケーション)の可能性は、ますます広がっていくことでしょう−−。
プロフィール
高木あゆみ(たかき・あゆみ)/はちどりphoto代表、フォトグラファー。◎小学6年生からインスタントカメラやコンパクトカメラで撮影を始める。18~30歳まで熊本でフェアトレードの活動に参加。2006年にはベトナムへ留学し、首都ハノイを拠点として地方の農村取材や農家との交流。2014年にはフリーランスになり、以後はドキュメンタリーフォトグラファーとして、欧州や中東14カ国29都市を取材したり、農家や職人取材に力を入れる。