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第2話 代表取締役 上野耕平 「 トラブル頻発!? 沖縄離島のサトウキビ事業」

第2話 代表取締役 上野耕平 「 トラブル頻発!? 沖縄離島のサトウキビ事業」


南大東島での実績がもたらした新しいクライアント



前回もお話ししたとおり、南大東島は絶海の孤島です。派遣社員の往復の交通費だけでも相当なコストがかかる。そこで、南大東島以外の離島の全製糖会社に営業をかけることにしました。

サトウキビ事業は各島の基幹産業であるにもかかわらず、運営がすぐに立ちゆかなくなる傾向にあります。離島でそもそも人手が少ないことや優秀な人材が沖縄本島などに流出してしまうことなどから、組織運営が安定しない。とはいえ、廃業するわけにもいかないので、南大東島、伊江島、与那国島などの製糖会社の管理・運営は、大きな民間企業もしくはJAおきなわが引き受けていました。

私たちはそのJAおきなわそのものが人不足に陥っていると耳にし、何度か商談に訪れていました。その後さまざまな経緯を経て、粟国島での実績も踏まえ、1年後にはJAおきなわが運営するほとんどの離島における製糖事業の派遣を請け負うことになったのです。

島の治安・秩序維持とトラブル未然防止に貢献


島にもよりますが、労働期間はだいたい3カ月程度。仕事としては、サトウキビの計量や糖度計測、鎌を使ってサトウキビを割く作業などがあり、作業者の適性に応じて割り振られます。しかし、工場が24時間操業のため、派遣の仕事も12時間交代制。辛くて途中で逃げる人が当時は少なくありませんでした。

特に苦い思い出は、与那国島での製糖業務です。サトウキビは島にとっては基幹産業なので、島民個人の力と結束力がとても強い。加えて、当時は島を二分するような政情に島全体が巻き込まれている真っ只中であったため、さまざまな動きがありました。

そんな中、JAおきなわ与那国支店の新工場設立にあわせて、エイブリッジから派遣スタッフが40人ほど島に入った当初は、島民からの「外の人」に対する不信感や反発がありました。

食べ物の調達も最初は大変でした。台風が来ると、船が止まって食材が運ばれなくなる。ひどいときは、夕食が味噌汁とご飯にちょっとしたおかず程度で、みんなどんどん痩せていくのです。慌ててレトルトのカレーやラーメン、缶詰などを空輸で送りました。沖縄本島のイオンから一瞬レトルトカレーが消えたのは、実はエイブリッジが買い占めてしまったことが原因です。

沖縄県・伊江島の遠景

もちろん、平穏な思い出もあります。伊江島だったか、雨が降らずサトウキビの生育に影響が出たとき、なんと雨乞いの祈祷が始まったのです!これには驚いたし、まさかの雨も降ってきて、さすが沖縄だと感じました。

実はいくつかの派遣会社がこのサトウキビ事業に参入したのですが、さまざまなトラブルが必ず起きるので、担当者が疲弊して逃げ出してしまうのです。派遣会社としては続けることがリスクとなり、どこも早々に引き上げていました。

「トラブルが起きてなんぼ」!


クライアントがトラブル対応で大変な思いをする中、「エイブリッジが引き受けることによって、クライアントが楽になる。むしろ喜ぼう!」と弊社の担当者は自らを鼓舞。その結果、クライアントの直接雇用の人材までプライベートで面倒をみるなどして、ついには島の有名人となりました。また、ある島で製糖業務が無事終了した際、この担当者は島の治安・秩序維持とトラブル未然防止を表され、交番勤務の巡査個人による表彰を受けたこともあります。

社員の自己実現が、会社の成長につながる


エイブリッジでは同時に、江城君を中心にIT人材の派遣も進めていきました。前回書いたとおり、エイブリッジへの入社時、彼はふたつの条件を提示しました。そのひとつ目である「高卒生を対象とした派遣の教育システムの構築」ですが、最初の数年間はなかなかうまくいかなかった。特に高卒生は若くて目移りするのか、数回のトレーニングを経て一人前になる寸前に、より良い条件を提示した会社へと移ってしまうのです。

現在はおかげさまで定着が続き、高卒・大卒含めて新卒入社のIT人材が8名在籍しています。また私も江城君も、「弊社がステップ1となり、ステップ2へと自らの力で羽ばたいていくのは素晴らしい!」と感じられるように成長しました(笑)。

ふたつ目の「海外事業への参画」に関しては、IT人材を採用してオフショアの開発拠点をつくるという目的のもと、ミャンマーに会社をつくりました。もともと私の友人がミャンマーで起業したのですが、計画していた事業が実施できなくなり、社員ごと引き受けてほしいと頼まれたのがきっかけです。

優秀な営業マンを現地法人の社長に据え、エイブリッジの子会社「エムブリッジ」として2015年4月に創業。引き受けた10名弱の社員に加え、ミャンマーの大学でプログラミングを学んだという新卒を60名採用しました。ところがこれが大問題。彼らのIT教育レベルが非常に低かったのです。

当時のミャンマーの大学はどこもパソコンの台数が圧倒的に少なく、学生はプログラミングを紙に書いていたことがわかりました。つまり、プログラムを書けるというレベルにはなく、一から教えないといけない。しかも、元からいる10名弱のエンジニアもプログラムのPHPが少しわかる程度で、人を教育するレベルにはなかった。

そんな状況が3年間続き、赤字が嵩んだため、新卒採用の60名のうち将来有望な10名を残してあとは解雇せざるを得ませんでした。

現在は、IT教育のためにエイブリッジに入社した沖縄出身のプログラマーが現地法人の社長となり、アジアのIT人材・育成センターを目指して奔走しています。エイブリッジのミッションは、ますます深刻化していく日本の少子化によるITエンジニアの人材不足を補うため、アジアの人材を教育することです。
(構成=堀香織)

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