インタビュー

生産効率の悪さを強みに! 三世代でつなぐ「かごしま黒豚ブランド」【第3回】

数ある豚肉銘柄の中で、圧倒的な存在感を放つかごしま黒豚。圧倒的な知名度を誇る一方で、いかにしてかごしま黒豚がトップブランドに上り詰めたのか、その道のりを知っている人はどれだけいるだろうか?親子孫3代で衰退していた黒豚を復興させ、ブランドを確立し、さらに時代に合わせて発展させている沖田黒豚牧場に取材した。

連載第1回
連載第2回

沖田黒豚牧場(鹿児島県伊佐市)
・牧場面積  110,000㎡
・飼育頭数 約1000頭
・ウェブサイトはこちら

設立年 1960年
従業員数7名(役員3名、正社員3名、パート1名)
業務内容:かごしま黒豚の生産・肥育・出荷、牧場民宿レストラン「和-のどか-」運営、かごしま黒豚の直販・通信販売。

自分たちの育てた黒豚を、直接届けられる場を

信頼できる基準や販売網を作り上げる中で、速男さんの心の中に湧きおこってきたのは「より質を追求したい」との思いだった。

「ブランド化をして黒豚の地位が確立されていく一方で、意識は生産者ごとで違う。黒豚と一口に言っても品質はそれぞれ。本当にこだわりを持っておいしい黒豚を追求している生産者たちでグループを作りたいとよく話していました」

そんな速男さんの思いが結実したのが、牧場民宿レストラン「和-のどか-」だ。自分たちがこだわって育てたかごしま黒豚を、直接お客さんに食べてもらう。そんな場所を持ちたいと思っていた。

レストラン和-のどか-の内観

レストランの名前、「和-のどか-」は沖田黒豚牧場の立役者・和子さんにちなんで付けた

「義父は自分の家の木を全部切ってきて、製材まで自分にして。建てるのは大工さんに頼んだけど、大まかな設計は自分で考えていました。民宿までやらなくていいんじゃないか、誰が伊佐の山奥に泊まるんだろうと私たちは思っていたけれど、義父は『今からこういうのが流行るんだよ』と」

「和-のどか-」オープンから遡ること40年くらい前に植えていた木材は、建物全部に使用

ちょうどグリーンツーリズムの流れが来ている頃だった。

福岡、東京、鹿児島で10年ほど和食の修行をしていた孫の大作さんが戻ってきて、計画に参加することに。

沖田大作さん

「うちの豚肉を使って料理をしようとは考えていたけれど、それはもっと人のいる街でやろうと思っていました。こんな山奥まで誰が来てくれるんだろうと思っていた。けどいざ始めてみると、地元の人を中心に口コミで広がって、結構たくさんの人に来てもらえました」

アクセスの決して良くないこの地に、1年目には約5000人の客が訪れた。二年目には約4000人と客の数は減ったが、売り上げは伸びた。リピータが訪れて、宿泊も増えて一人当たりの単価が上がったからだ。宿泊は一人12,000円~で朝食、夕食付き。

牧場民宿のチェックインは17時から。到着したら風呂に入り、夕食を食べたらあとは自由。生活音のしない、山奥の閑静な環境で、本を読んだり、お酒を飲んだりして静かに過ごす。星の美しさは圧巻だ。

暖炉の火が赤々と燃える

「みんな充電しに来たって言いますよ。飯食って寝て、早起きすると日の出がきれい。将来的にはここをオーベルジュにして、店は街中に作ってもいいかなと思っています」

沖田黒豚牧場の朝。山々の稜線が、朝日に照らされて浮かび上がる。画像提供:沖田黒豚牧場

放牧地でどのように黒豚が育てられているのか、自分の目で確かめることができる。そこに黒豚尽くしの食事。これほど確かな場所はない。大作さんの料理は、素材の味のよさをストレートに引き出しつつ、スパイスや調味料の効かせ方などの細部に繊細な技が光る。

レストランオープンの3年後の2015年に速男さんは85歳で亡くなった。黒豚に情熱を注ぎ、やりたい思ったこと、やるべきだと感じたことを、とことんやり尽くした人生だった。

受け継がれ、進化していく沖田黒豚牧場

これから先、沖田黒豚牧場はどのようなところを目指していくのだろうか?

「うちの黒豚がどういうものか知らない人はまだまだたくさんいます。地元の人も知らない人は知らない。だからもっと広げていけたらいいと思う」

自宅併設の直売所。沖田黒豚牧場のかごしま黒豚を直接購入できる場所だ

鹿児島県畜産課統計資料より

黒豚のブームは落ち着き、現在、出荷頭数は横ばい傾向にある。そして、黒豚は現在もトップブランドであるが、TOKYO Xや金華豚など、全国各地のさまざまな豚肉銘柄も人気になってきた。

「黒豚=おいしいではない。黒豚でも質はそれぞれ。せっかくブランド化したのだから、それを守っていくために質を保たなくてはいけないと思います」

県農業大学校を卒業後、いくつかの牧場で働いた次男の歩さんも牧場の仕事に加わった。歩さんはインスタで同業者とつながり情報交換をしながら病気や治療、修理の仕方を試行錯誤しているという。さらに、歩さんの妻・恵さんも生産に携わるようになった。

1960年に、速男さんが家の庭先で1~2頭の黒豚を飼い始めてスタートした沖田黒豚牧場は、家族の間で受け継がれ、少しずつ形を進化させながら次の時代へつながっていく。

「じいちゃんはあんまりしゃべらない人で、遊んでもらった記憶もほとんどないんですよ。自分が仕事をするようになってから、どんなこだわりがあって、何をしていたのか意味がわかった。『そういうことしていたのね』って。まあ、孫と遊んでくれても良かったと思いますけど(笑)」

「うちのじいちゃんが広告塔だった部分は大きいです。これからはそういうことがなくなって、でもただの黒豚になったらいけないよねって思う。レストランをする僕と、生産をする父、母、弟夫婦。売り上げをあげる生産性とおいしさへのこだわりの両輪を回していくのがこれからの課題。おいしいものを作っていくっていう絶対的なところを忘れなかったら、うまくやっていけるのかなって思います」

沖田大作さん(左)と健治さん(右)

参考文献
『かごしま黒豚物語』
日本養豚学会誌38巻
論文『鹿児島県における黒豚のブランド化にみる豚肉供給地の性格』

文、写真=横田ちえ(Chie Yokota)

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