インタビュー

生産効率の悪さを強みに!三世代でつなぐ「かごしま黒豚ブランド」【第2回】

数ある豚肉銘柄の中で、圧倒的な存在感を放つかごしま黒豚。圧倒的な知名度を誇る一方で、いかにしてかごしま黒豚がトップブランドに上り詰めたのか、その道のりを知っている人はどれだけいるだろうか?親子孫3代で衰退していた黒豚を復興させ、ブランドを確立し、さらに時代に合わせて発展させている沖田黒豚牧場に取材した。第1回はこちら

沖田黒豚牧場(鹿児島県伊佐市)
・牧場面積  110,000㎡
・飼育頭数 約1000頭
・ウェブサイトはこちら

設立年 1960年
従業員数7名(役員3名、正社員3名、パート1名)
業務内容:かごしま黒豚の生産・肥育・出荷、牧場民宿レストラン「和-のどか-」運営、かごしま黒豚の直販・通信販売。

黒豚の復活と偽物の氾濫

沖田速男さんが信念を貫きうまい黒豚づくりに邁進していた頃、同じように黒豚を残すべく少数の農家や行政関係者が奮闘していた。

1970年には、時の県知事・金丸三郎さんによって「黒豚を残す」決断がなされた。収入面だけを見れば白豚が圧倒的によかったが、古くから鹿児島で飼われてきた黒豚の歴史やその味のよさは後世に繋いでいくべきものだと考えてのことだ。

その後、黒豚の品種改良などが行われ、生産者や関係者の努力により、頭数や農家数も徐々に回復していく。1970年には約13,000頭だった黒豚の出荷が、1990年には約95,000頭にまで増えた。味のよい黒豚は再び脚光を浴びるように。

しかし、同時に起きたのが偽物の氾濫だ。ブランドが生まれれば、偽物が生まれるのは宿命でもある。生産量をはるかに超える黒豚が販売され、黒豚に対する消費者の不信感も高まってしまう。

いい黒豚を育てるだけでなく、本物を消費者に届けるための流通体制を整備していくことが急務とされ、1990年生産者を中心とした鹿児島県黒豚生産者協議会が設立された。速男さんは、1993年鹿児島県黒豚生産者協議会の会長に。以来、2013年の引退まで10期20年に渡り勤めた。

確かな流通体制の確立を

就任後、速男さんが本物の黒豚を間違いなく消費者の元へ届けるためのルート・仕組みづくりと偽物の抑止に注力する。

そもそもの偽物氾濫は、サシの入り方で等級の判断ができる牛肉とは違い、見た目だけでは黒豚か白豚かの判別がつきづらいことが一因となっていた。

豚の薄切り肉

精肉の状態では、黒豚か白豚かは判別がつかない

「偽物が本物の何十倍も出てきているから、義父はそれを取り締まるのに大変だったって言っていましたよね。スーパーに並んでいても、肉だけ見たって実際は本当に黒豚なのかわからないでしょ。関係者でも見分けは付かなくて、DNA鑑定でもしないとわからないから、抜き打ちでDNA鑑定したり」

「かごしま黒豚証明制度」

そこで取り組んだのが「かごしま黒豚証明制度」だ。「かごしま黒豚証明制度」は、生産者名・出荷年月日・証明者番号が記入されたシールを出荷の際に添付するシステムだ。これにより、産地(生産者)・流通経路・品質が確かで、消費者からの問い合わせに対して産地まで遡って対応できる仕組みが出来上がった。

写真提供:沖田黒豚牧場

さらに、品質を安定させるために、かごしま黒豚の基準も決めた。県内で生育・肥育されたバークシャー種で、肥育後期にさつまいもを10-20%添加した飼料を60日以上与えること、一般的な豚の1.2-1.5倍の230-270日の肥育期間をとることなどを定める。

品質が安定し、確実に消費者まで流通できる体制ができあがったことで、かごしま黒豚はブランドとしての地位を確かなものにしていった。

畜産への多大な貢献が数多く表彰された


2005年には黄綬褒章を受賞

家族の協力があったから、つないでいけた

会合や打ち合わせに外に出る機会の多い会長職に就けたのは、安心して牧場の仕事を任せられる家族の存在があったことが大きい。妻和子さん、長女一代さん、長女の夫の健治さんが牧場の仕事を大きく担っていた。

「母の存在なくしてこの牧場は語れない」と話すのは長女一代さん。

「孫が来ると先頭に立って遊ぶ明るく元気な人でした。父は頑固で決めたらこうって感じでしたけど、母はそれに対して特に文句を言うこともなくて」

昔の豚舎跡。元々黒豚を飼い始めた1960年は、農業、林業、炭焼きの仕事をしながら庭先で1~2頭家の残飯を与えて育てていた。その後、家の横に豚舎・浄化槽を作り、徐々に規模を拡大していく


別の場所に大きな豚舎を新設したため、現在はヤギたちの住処に

一代さん自身も、高校卒業後に滋賀県立短期大学で農業経営学を学んだ後帰郷、2年間外で働いた後、1982年から沖田黒豚牧場で働き始める。

「私は四姉妹の長女なので、しなきゃいけない仕事だと思っていました。私がやらないと妹の誰かがしなきゃいけないのかなって」

その後、1990年、牧場の仕事を精力的に手伝っていた和子さんがけがをして入院したのをきっかけに、一代さんの夫・健治さんが本格的に沖田黒豚牧場で働き始めた。

沖田健治さん

「その前はJAの職員で、畜産指導員をしていました。元々黒豚に関心があったわけではないんですけど、畜産共進会をきっかけに好きになって。いわゆる見た目を競うコンテストですね。黒豚は愛嬌のある顔をしていて、ちょっと鼻がしゃくれていて、見た目がかわいい。背中は弓状にきれいなカーブを描いていて、このラインがきれいだなと」

家族それぞれからわが道を行く人であったと証言される速男さん。そんな義父の元で働くのはどんな感じだったのだろうか?

「なんていうか、義父は自分の思ったようにしかできない人だから、私たちが何を言おうと納得しないと聞き入れてもらえない。でも飼育の事は任せてもらって、細かいことをあれこれ言う人ではなかったし、怒ったりもしなかったから、そこは私もやりやすかったかも」

参考文献
『かごしま黒豚物語』
日本養豚学会誌38巻
論文『鹿児島県における黒豚のブランド化にみる豚肉供給地の性格』

写真、文=横田ちえ

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