インタビュー

生産効率の悪さを強みに!三世代でつなぐ「かごしま黒豚ブランド」【第1回】

数ある豚肉銘柄の中で、圧倒的な存在感を放つかごしま黒豚。

サツマイモをエサに育ったかごしま黒豚は、歯切れがよくしっかりした肉質と、甘味のある白身が特徴的だ。トンカツ、しゃぶしゃぶ、ステーキ、どんな料理にしてもうまい。かごしま黒豚を誘い文句にした飲食店も多く、その言葉だけでおいしさを約束してくれるようだ。

圧倒的な知名度を誇る一方で、いかにしてかごしま黒豚がトップブランドに上り詰めたのか、その道のりを知っている人はどれだけいるだろうか?

長い歴史の中で育まれてきたかごしま黒豚は、実は高度経済成長期に生産効率の悪さから絶滅の危機を迎えていた。多くの農家が早く育ち肉も多く取れる白豚に乗り換えたため、1961年は県全体の豚出荷頭数の99%を占めていた黒豚が、1975年には2%にまで落ちてしまっていた。もはや消えるのは時間の問題だった。

そんな時代に、かごしま黒豚の可能性を信じて飼い続けた人たちがいる。そのひとりが沖田黒豚牧場の初代である故・沖田速男さん(享年85歳)だ。「いつか量より質の時代が来る」と、信念を貫き、うまいかごしま黒豚づくりに邁進した。

生産、流通、消費、市場が大きな荒波のようにうねりを迎えていた高度経済成長期に、速男さんは何を考えどのように行動したのか。現在の沖田黒豚牧場を運営する2代目沖田健治さん、一代さんご夫婦、牧場直営の牧場民宿レストランを営む孫の沖田大作さんに話を聞きに行った。

沖田黒豚牧場(鹿児島県伊佐市)
・牧場面積  110,000㎡
・飼育頭数 約1000頭
・ウェブサイトはこちら

設立年 1960年
従業員数7名(役員3名、正社員3名、パート1名)
業務内容:かごしま黒豚の生産・肥育・出荷、牧場民宿レストラン「和-のどか-」運営、かごしま黒豚の直販・通信販売。

牧場民宿レストラン「和-のどか-」で黒豚尽くしのランチ

沖田黒豚牧場は鹿児島県伊佐市の山奥にある。2013年にオープンした牧場直営の牧場民宿レストラン「和-のどか-」を目指して、静かな山道を進んだ。

鹿児島空港から車で約1時間、鹿児島中央駅から車で約2時間。決してアクセスしやすい場所ではないが、産地直営のおいしい黒豚料理を求めて多くの客がこの森の中のレストランへ訪れる。

店手前の道。鹿に遭遇することもしばしば

牧場民宿レストラン「和-のどか-」

レストラン「和-のどか-」の内観

店内の広い窓からは、沖田黒豚牧場の放牧地を望む。開放的な景色を眺めながら、山あいの静かな環境で食べる料理に胸が躍る。

予約制のランチは1800円(税込)。前菜、スープ、メイン、デザートまで付いた黒豚と地元食材を使ったフルコースで、メインは塩焼きステーキ、とんかつ、ハンバーグ、味噌漬け焼きなどの中から選べる。
肉質がしっかりしていて、旨味が強く、ほどよい噛み応えがある。そしてとにかく脂がおいしい。甘くさっぱりした脂は、食べた後も爽快な後味を残してくれる。

添えられた野菜やごはんも、素材のよさがまっすぐに伝わってくる。米は沖田さんの家で自家栽培したもの。静かな環境に素晴らしい食材で作られたおいしいごはん。なんだか、活力が湧いてくるような、満たされたような、そんな気持になる。

前菜3種(左からホウレンソウと筍のお浸し、生ハムとイチヂクのコンポート、黒豚のテリーヌ)と、自家製豚味噌、卵焼き

サツマイモのスープ。甘いサツマイモの味わいに、ピンクペッパーが彩を添える

メインは塩焼きステーキを選んだ。店主沖田大作さん推薦。黒豚のおいしさをそのまま味わいたいなら、シンプルなステーキが一番おすすめだそう

食事を堪能した後、沖田さんの自宅に場所を移して話を伺った。

高度経済成長期、鹿児島から黒豚が消えていく

かごしま黒豚のルーツは古い。およそ400年昔、島津家久によって琉球から移入されたのが起源とされている。

戦後から1960年代にかけては、食の欧米化によって豚肉需要が急激に増大した。黒豚は肉質と味のよさから東京の市場で人気となり第一次黒豚ブームが巻き起こる。精肉店は黒豚を扱っていることがステータスになっていた。

しかし、そんなブームの頂点にあった1961年、鹿児島県は白豚の大型種・ランドレースを導入した。黒豚と比べて、ランドレースは産子数(一度に生む子どもの数)も2-3頭多い上に、一カ月成長が早く、肉も多く取れ、経済効率がよかった。瞬く間に鹿児島に白豚が広がり、黒豚は減っていった。

多くの農家が黒豚を辞めて白豚のみの飼育になる中、一部の生産者たちは黒豚を飼い続けた。その中の一人沖田速男さんだ。

沖田速男さん

沖田黒豚牧場二代目・沖田健治さん。1983年に沖田速男さんの長女一代さんと結婚。JAの畜産指導員を数年続けた後、1990年に沖田黒豚牧場の仕事へ

自宅庭先には「畜魂碑」があった

「義父は黒豚を守りたいという思いがあって、白豚も飼いながら黒豚を残していました。黒豚は肉質も味もいいから、逆境にあっても評価される時代が来るだろうと考えていたようで」

経済効率、成長が“是”とされる高度経済成長期の風潮に逆行するような信念を貫くのは、並大抵のことではない。

さらに、1962年に始まった日本食肉格付協会による格付け制度が黒豚にとって更なる逆風となる。豚肉を味ではなく、脂肪と赤身の割合や枝肉の重量で評価する制度だ。これによって、背脂肪の薄い白豚は評価され、背脂肪の厚い黒豚は評価されにくくなる。

「黒豚の脂には、他の豚にはない独特の甘さと旨味がある。黒豚のおいしさは脂で、背中の脂が厚いのがいい肉なのに、格付け制度では低く評価されてしまう。だから黒豚を飼っている人が、格付けの上を狙おうとしたら痩せて脂肪を薄くした貧弱な黒豚にするしかない。これじゃいかんと義父はよく言っていました」

経済効率も決してよくなく、その上、きちんと育てた黒豚が評価されないシステムが出来上がってしまった。もう鹿児島の生産者が黒豚を飼い続けるのは難しくなっていた。1961年に238,600頭を出荷していた黒豚は、1970年には13,000頭まで落ち込んだ。

日本養豚学会誌38巻4号P206「鹿児島黒豚生産者協会の取り組み」(沖田速男さん執筆)より引用

速男さんの支えになったのは、東京の流通業者の黒豚の品質に対する評価の高さだった。日々肉を扱うプロフェッショナルからの評価で、「いつか量より質の時代がくる」と信じることができた。

愛嬌のある顔も黒豚の魅力」と健治さん。画像提供:沖田黒豚牧場

放牧、エサの改良、よりうまい黒豚を

よりよい黒豚を育てるために、速男さんは放牧とエサの改良に乗り出す。

「地域の自治会で牛を飼っているグループがいて、毎年夏になると放牧地に牛を放していたんですよ。でも時代の変化で、兼業農家や外に働きに出る人が増えて牛を飼う人が減っていった。放牧地も使われなくなり『誰かここを利用してくれる人はいないか』となったときに、義父が豚の放牧地にしようと名乗りを上げました」

沖田黒豚牧場の放牧地

画像提供:沖田黒豚牧場

黒豚たちは元気に斜面を駆け巡り、土を掘り起こし、雑草を食べて過ごす。のびのびと野山で過ごしているから、元気に成長する。
畜産業で避けて通れないのは周辺住民の理解や公害問題だが、ここは理想的な環境だ。あたりに人家も少なく、さらに放牧地斜面の下のススキや雑草が、黒豚の糞尿を受け止め直接川に流れ込むのを防いでいる。

「糞尿が直接川に流れ込んでしまうと、公害の原因にもなります。義父はちゃんとまわりや先のことまで考えないといけない、ただ黒豚を飼うだけじゃダメだ、とよく話していました」

エサの自家配合も熱心に研究していた。何種類も自家配合しては試し、夜を徹して分析していた。最終的に、サツマイモ、麦、米ぬか、焼酎かす、醤油粕をブレンドして一日以上発酵させたオリジナル飼料にたどり着く。

「しようと思ったことは、時間関係なく徹底してする人でしたね」

速男さんの確かな黒豚づくりへは、飲食店、スーパー関係者から注目を浴びるようになる。大阪の高級スーパーや東京の有名とんかつ店から、直々に牧場を視察に来る人も現れ、直接取引をするように。市場に卸すよりも高い値で安定して取引できるようになっていった。

参考文献
『かごしま黒豚物語』
日本養豚学会誌38巻
論文『鹿児島県における黒豚のブランド化にみる豚肉供給地の性格』

文、写真=横田ちえ

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